社会の一つとして個人を見てしまうあなたへの手紙
I.Yamaguchi

拝啓 個人の集合として社会を見るのではなく、
社会の一つとして個人を見てしまうあなたへ

お元気でしょうか。
衣食足りて礼節を知る、という言葉の通り、毎日、新聞の一面を見ては
「長島さんが脳卒中らしいね。大変だね」
と同僚に首を振るあなたが思い浮かんで
にやりと笑ってしまいます。

家の近くの定食屋に長島監督のサインがあります。
松坂大輔ややキャイーン、ZEPPET STOREが壁にハリツケにされる中
監督のサインだけは額縁に入れられて、頭を店の空に突き出しておりました
病気のせいで、もしかすると
字を書くのは難しくなったかもしれませんが
「ビュッ」とか「ババッ」といった
  誰もついていけないほどの速さで突き出た効果音が
「小指をグリップエンドに余らせて、
バットのヘッドスピードを上げるんだ!」
 というように、意思疎通の不安さゆえか論理的な密度を増して
意外な監督、から偉大な監督、に変化を遂げるかもしれません。

今笑いましたか?
笑ったならば、あなたも社会から個人を見ている一人です
長島監督の言葉を理解できるのは
頭の先まで野球に捧げられる人だけで
大多数の、野球で生活をしない人には
理解できないだけかもしれません。
その証拠に
「スイングではチンコを勢いよく振れ」
という言葉をサウナで使ったのは
長島監督だけではありません。
確か、四百勝した金田もそうだった記憶があります。

ところで、最近になって知ったのですが、
私は何かが終わるのを見たことがありません。
卒業によって疎遠になった友達
一年も前から行き詰まりを感じていたのに
ずるずる続ける内に別の男に走った女
妹の誕生日だからといって
お見舞いに行きそびれた晩に死んだ祖父

失ったいった人たちは確かにいるのですが
けんかをしたり、息がなくなるのを
目の当たりにしたことはありません。
人だけではありません
ずいぶん昔クモの巣に
蟻をくっつけて死ぬざまを見ようとしたときも
クモは私から与えられた役割を黙々と果たすために
生き血を吸われる前の蟻をグルグル巻いて
自らの凶器を神秘のうちに隠したのでした。

彼らは自分との関わりが終わったのではなく、
ただ遠くに離れていっただけに思われます。
付き合いはもうないじゃないか、と人に言われても
三年ぶりに現れた年賀状
引き出しに潜ったプレゼントのロザリオ
病室の中での口臭と同じ豚角煮湯葉包みまん
数限りなくある思い起こす物のおかげで
気づくと彼らはそばにいるように感じます。

もしかすると、あなたは僕とは違うわけなのですから
ケンカで人と絶交したことや
鷹が獲物を捕らえる瞬間
人が息を引き取る瞬間を
見たことがあるのかもしれません。
しかし、
十年経てばケンカは忘れ
獲物を捕らえた瞬間には爪の中で小鳥はもがき
人が息を止めた後も 心臓の動きを機械で見てしか
その死は確かめられないのです

個室病棟に祖父が移された後、ナース室の奥から
無表情なサイン波に聞き入ったことがありますが
変わらないテンポから聞こえる音は
終わりではなく、ストップウォッチのように
時間を一定に刻むのでした。
この音の刻む時間が長くなり、
ついには果てしなく長い時間を一つとして刻もうとするとき
祖父の死がつたえられるのは分かっていましたが
その死も医者から宣告されるまで
私は果てしない時間がもう一度、もう三度
区切れることを期待したことを
今も忘れておりません。
生ける生けとしものはみな死ぬということは社会の論理ですが
皆さんも個人個人に分けて、事件をそばにおいてみれば
例外を 欲したことが、一度はあるとおもいます。

去年の夏私がNYにいたとき、停電にぶつかりました
外から見る人には恐ろしく映ったものでしょうが
テストを途中で抜けれた私は延々と歩き回り
近くのホテルから渡されたアイスクリームを頬張りながら
二十一歳未満なのにスポーツバーでビールを飲んでおりました

その週の終わりにポエトリーに行った時
私は停電のときに何をしたのかと聞きまわりましたが
彼らは彼らのドラマがあり そして
NYで同じ停電という時間を共有したことよりも
重要な話がありました
私にとっても停電は英語ができないことをかくして
コミュニケーションをする、という目的の
唯一つにしかすぎませんでした。
初めに言葉があってそこに意味が宿るように
初めに目的があってそこに「できごと」は宿るのでした

最近全てのページで一つの事件しか追わない新聞のことを考えました
例えば全ての記事でイラクを追いかけると
大体原稿用紙二百枚の紙面の中で一人くらい
「子供のオムツをうまく替えられない」とか
「子供がオレンジを嫌うんだ」
とか
「夫の不倫」
を一番の悩みにあげる人がいるように思えるのですが
僅か千字や二千字に圧縮すると
「職がない」
「インフレが激しい」
「テロが怖い」
というふうに、確かに怖いは怖いのですが
彼らの悩みは恣意的に
読者から遠いものばかり選ばれて
距離と自分たちの安全ばかり保証するのです。
保証されている人と保証されていない人の差異ばかり強調して
保証されていない人を私たちに差別させようとするのです。
差別をした後で私たちに保証されている人間になるよう
保障されていない人それぞれの
人格を見ないで押し付けてくるのです。

社会から個人を出すということはつまりそういうことです。
環境保護といいつつ、
プラスチックの中のミネラルウォーターに頼り
気の毒ですねとニュースを見て
募金やボランティアに目をそむけ
国会は信じられないと言って
自分は選挙におもむかず
宗教に囚われずといいつつ、
全ての宗教を信じないことに信仰して宗教を蔑視し
プライパシーの保護、といいつつ
年頃の娘のドアを予告なくあけて
そのくせ
「環境保護、気の毒、信教の自由、プライパシーの保護」
と言わない人を時代遅れと決め付けている人です。
自分の付き合う人を
自分を中心とした円の中に閉じ込めるということです。
でも私はあなたの友人として、
そのような部分を叩く気はありません

私はあなたの社会から人間を見るところではなく
      飲めば楽しく
      話せば意味深く
      つらいときも私を助けてくれて
      泣きたいときに傍にいてくれ
      あなたの子供のために生活を捧げる
ところが大好きで付き合っているからです。
あなたが私を友人として認めてくれているから
私はあなたを友達だと認めているのです

そんな、次の世代もなく、一つも終わるところを見た事のない私は
自分の欲望のためにコーラを飲み
生活が苦しいから募金やボランティアには目を向けず
めんどくささ故に選挙におもむかず
高橋和巳の「邪宗門」のように
   アメリカと本土決戦してくれる宗教がないかと期待しつつ
自分の好きな詩や劇やセックスという発話ばかりを行ない
少しでも多くの言葉を使って
周りに飲めば楽しく
   話せば意味深く
   つらいときも私を助けてくれて
   泣きたいときに傍にいてくれる
   あなたの子供のために生活を捧げる
そんな人を自分のそばに集めたいなと思っています


自由詩 社会の一つとして個人を見てしまうあなたへの手紙 Copyright I.Yamaguchi 2004-03-13 20:01:16
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