書く動力 10
Dr.Jaco

さて、私が何かに執着しているということだけが手詰まりの中で唯一リアルなの
であろう。それは大した事でなく、平凡なことだ。きちんと家からバス停までの
道のりをほぼ決まった時間に歩いているのと大差ない。凡百の、平日の世界とし
て、時間が動く。時間が不可逆な化学反応の結果ということを意識しなくても、
それが一つの動力として疲労や、新たな問題の一積みに繋がるということは意識
される。そして、他人事のように何かを語りたいと思って、言葉を吐くこともあ
るだろう。そうでありたい。それは私のむなしい理想である。


Der eine beim Film,die andere im Kino(スクリーンの男と映画館の女)


    1.Die Gruengelben(緑黄人種)


     あなたは遠くで見ていた

     わたしは遠くを見ていた

     向き合っていた

     話し合っていた

     わたしあなたは

     あなたわたしは

     ここにはいない

     と言ったけれど

     見つめ合う目が

     遠い直線の上で

     呼び合ったその
  


     クラクション

     を聞いたその

     たがいの手を

     触/サスり合ってた

     関節の深みが

     たがいを

     呑み込み



     その間の

     テーブル

     には窓が

     立ってた

     あなたは

     わたしは

     ウツボ蔓

     覗き合う

     絵 の中

     の絵 の

     中 の鼻

     の穴 の

     喘ぎ合う

     だけ の



     あなたは転がされた人形/マネキンだった

     わたしは    〃     だった

     樹脂の壁の部屋

     愛し合っていた

     向き合っていた

     遠くを見ていた

     わたしは

     あなたは

     転がって

     転がった


    2.Nude Indigo(群青色のヌード)


     絡め合っていた

     頚/クビを

     それでもキスから遠く

     ネジ切りしながら

     その螺旋の蔦には

     両側の壁を打/ブち抜いて

     見えない部分があった


    3.卵の中の血管


     駆ける太腿

     が掌/テの上にあって

     それはその

     細かい皺

     ではなかった

     それはあるいは

     あなたが胸に

     挟み込んで

     抱き締めた

     掌ではなかった



     あるいはさらにその

     剥がれ落ちる

     皮膚/カワではなかった



     あるいはその

     ミシン目の切り取り線が

     ………

     わたしであり

     あなたの見る

     あらゆる物語

     の殻でもなく

     一回かぎりの

     伸縮があった


        (1989頃 カッコ内は今付けた注釈)


私はセックスを他人事のように書きたいと思った時があって、それは今もそうで
ある。これもまたお定まりの「逃げたい」ということか。他人事のように書きた
い、ということは、私事を私事のまま他人に押し付けるのと同じくらいうさん臭
いのである。ミシン目で切り取って、切り離して終われるような「私」がいるこ
とを望んでいるのは、私事を書きまくって、精液といっしょに飛ばしてしまおう
とする位に無責任だとは思う。

ただ、自分の掌を合わせた感覚と、妻の掌を握る感覚の違いだけが私に詩を書か
せる動力なのか。その位相の違いはやはり、皮膚の内側が外側へ拡散する力なの
か。掌や舌先を差し込んで確かめるものは何なのか。

結局自分だけが生きていることを確かめたいだけなのか。


散文(批評随筆小説等) 書く動力 10 Copyright Dr.Jaco 2005-07-18 23:40:28
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