書く動力 9
Dr.Jaco

手詰まりにしてはさっさと続きが出てくる。そして手詰まりな時はいつもこの言葉が
私を支えてくれる。今回、話は脱線する。

  はばかることなくよい思念(おもひ)を
  私らは語ってよいのですって。
  美しいものを美しいと
  私らはほめてよいのですって。
  失ったものへの悲しみを
  心のままに涙ながしてよいのですって。

        (永瀬清子「美しい國」抜粋 引用は飯島耕一「鳩の薄闇」から)

この詩(特に冒頭2行)以上に戦慄したフレーズはない。こういうことを言われて凍
り付く自分はやはり、ひねくれている。
「はばかる」相手と「ですって」の相手は、同じ「貴方」ではないのであろう、と私
は思ってしまう。「はばか」っていた相手に般若の形相を向けながら、振り返った途
端の微笑みで「ですって」って言われているような迫力を感じる。

美しい語調はこの詩が太平洋戦争直後の日本で書かれているにしても、何かの理想と
やらを高らかに謳い上げるといった安っちいものとはかけ離れて、止めどもない動力
を感じたから戦慄を呼ぶのだと感じた。

  ポポ

  ヌムヌムモナラミ
  ヌルヌルモモヌム

  ギレッチョ
  ズルマッチョ

  ヌムヌムモナラミ
  ヌルヌルモモヌム

  ズルマッチョ
  ポエ
  
  (鈴木志郎康「口辺筋肉感覚説による抒情的作品抄 作品10)

ディープキスの最中に、自分の舌先の行方を冷たく追うようなこの作品も凍てつく。
それは「冷たい人ね」ということでなく、逆に執念深く追い掛けるやるせない人物像
の出現である。40年以上前にこれが書かれているから、もう真似はできないね、っ
ていう閉塞感と同時に、紙面に転がっている言葉が無理矢理自分の(音読が嫌いな私
の)重い舌を持ち上げる動力の出現である。


    Blanc is an event and a method. It is,unlike Emptiness,
for example,not something to be believed in or not.It provides
the tabura rasa with a fullness of its own.Similarly,the Vacuum,
inour time,has afullness of its own, and that,too, is composed
of indiscernibles.

<I> forms a spacetime that is killed or used up by the species
as a whole.


    空虚は出来事であり方法である。それは、たとえば空(くう)のように、
  信じられたり信じられなかったりするようなものではない。それはそれ自身
  によって満たされた白紙状態(タブラ・ラサ)として働く。同じように、真
  空も我々の時代においてはそれ自身によって満たされており、見分けにくい
  ものによってできている。

    《私》はひとつの時空をかたちづくる。種全体によって抹殺されたり消
  尽されたりするひとつの時空を。

  (マドリン・ギンズ 荒川修作 「死なないために」 三浦雅士 訳  冒頭)

突っ込んだ舌先が真空に引き込まれるという安手の空想。細部を知らない場合の
肉体の内部があたかも「ある」けど分から「ない」状態にあるという現実。
ただそうした空間に引き込まれていく内向きな動力を感じるほどに、動力をコン
トロールするものの存在と、される側の「私」が見える俯瞰図とのギャップに苛
まれる。ほら、「罪」とか「業」とか言ってごまかすのはそれなんじゃないの?

浅はかな宗教感はやはり手詰まりか。


散文(批評随筆小説等) 書く動力 9 Copyright Dr.Jaco 2005-07-10 01:08:45
notebook Home 戻る  過去 未来