書く動力 8
Dr.Jaco

少々(多々?)無理があるかもしれないが、「空虚なイメージをかろうじて文字で実
在させながら世界を満たし、やがて破裂へと導くもの」が詩ではないかと思い始めて
いる。「何ものか」に触れた瞬間に発火した導火線は、私が包み込むように形成した
世界が、やがて私を包み込んでいるかのように錯覚し始めたと同時に、無限に思える
世界を言葉で満たすことを急かし続けている。埋まらないのは確実なのであるが、個
人として世界をきちんと埋めていかなければいけないという強迫観念。

水面に顔を浸すように、別の世界の表面に顔を浸けながら覗こうとして覗けないのが
まどろっこしくて詩を書くという営みが想起される。
その水面は私の世界の限界=果てだからだ。
果てはぶち壊したらよいではないか、と言うかもしれない。
でも多分それは恐らく、今までコミュニケートできなかった会社の誰かと、やっと会
話が弾んだ日の終わりに感じる充実感とは違うのだ。
どちらかと言えば、昨日まで泳げなかった私がある日突然泳げるようになるのと似て
いる、もっと言えば、空中と水中の境目=水面を感じることさえなく、どちらでも生
きられるようになる、というのと似ている。

(幸運にも?)水面を越えたなら、人にはもう水面は見えないのだ。
ということは、境界に潜む「言葉さん」について鬱陶しいくらいしつこく語る私は、
その境界を越えられないから語っているのである。

幸いにもリストラに遭うこともなく日々ある程度は楽しく仕事をし、帰れば暖かい風
呂と食事と「お帰りなさい」が待っていて、何でこんなことに関心を持ち続けるのだ
ろう。受験勉強している頃は、間違いなくこの関心は、逃避の対象だと思っていた。
実際、詩(と当時自分で思っていたもの)を書いている時の熱狂や充実感は、山川の
日本史教科書の暗記を中断させた。私は、私が知りたいものはホントは無くて、ただ
逃げ込んだ洞窟に潜む幽霊のようなものではないかと疑心暗鬼になったこともあった。
ひょっとしたら、今の仕事がホントはイヤなのかも知れない、という疑念もあるが、
気楽な夫婦二人の家庭から逃げたいと思うことも無く、会社に行くのがイヤでもない。
(といって、別に「早く月曜日にならないかなぁ」なんて言うワーカホリックでもな
いが・・・ 要するに平凡ということ)

話逸れたが、そんな凡人が追い求める「水面の向こう」とは、実は「貴方」と措定し
たものではないかと、さっき思ったのである。つまり個人たる私にとって、「言葉さ
ん」を愛していることを伝える「貴方」は水面の向こうではないかと。

愛憎とかに代表される位相の反復が動力なら、それが突き抜けるべきは単なる水面な
ら、そしてそれが直線方向なら尚更、要はただのピストン運動ではないのか。セック
スを語る安普請の「構造」とやらではないのか。あ〜あ。

そもそも何か運動の存在が措定される状況において、私はそこに動力の存在を見極め
ようとしたのだろうが、重力が導くように、私がセックスの欲望に導かれただけだと
すれば、このつまらない話を止めてもよいのかもしれない。だが、ならばなぜ私はセ
ックスしたいのかという問題が残るのだ。

再び話逸れたが、「動力」と措定したものが、引力のように私に働きかける力なら、
私は「書く」のではなく、「書かされている」。それは水面の向こうから私を導く甘
い吐息なのだろうか。あるいは私がもとから持っている別の何ものかが私を引き摺り
込もうとする内側への力なのか。

その思考自体が反復であり、2枚の鏡を立てた部屋のように、消耗することなく反復
する像の中で転がる死体が言葉だとしたら。

手詰まり。


散文(批評随筆小説等) 書く動力 8 Copyright Dr.Jaco 2005-07-05 00:20:21
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