音楽と精霊たち①
おぼろん

    憂鬱のかげのしげる
    この暗い家屋の内部に
    ひそかにしのび入り
    ひそかに壁をさぐり行き
    手もて風琴の鍵盤に觸れるはたれですか。
        ――萩原朔太郎「内部への月影」




1.自分だけの部屋


 父と母のいない家の中は閑散としていた。葉子は一人でオルガンの前に座っている。部屋のなかは整然と整理されていて、楽譜を入れておく本棚の他には、電子オルガンが一つあるきりだった。

 この家に帰ってきた時、葉子は言いようのない淋しさを感じた。「この家がわたしに残されたすべて?」――そう思った。父や母に財産がないことを思ったわけではない。ただ、残されたこの家が彼女の墓場のように感じられていた。

 東京の音楽大学の講師の仕事を辞めると言った時、もちろん同僚の誰もが反対し、葉子を引き留めようとした。

「今は一人でも仕事がほしいと思っている時なのに……」

「大学の仕事を辞めるなんて勿体ないよ。それに実家に帰るとかって……」

「実家にはもう誰もいないんでしょう?」――という言葉を、その同僚は飲み込んで口にしなかった。もちろん、デリケートな話題だと分かっていたから。それでも、葉子の気持ちに変わりはなかった。

「帰ればまた、一から仕事を探すことになる」――ということを葉子は分かっていた。今までのように収入や待遇の良い仕事は見つけられないだろう。あるいは、自分も路頭に迷うかもしれない。リスクは承知していた。

 ただ、実家に残された部屋にはどうしても帰らなくてはいけないような気がしていた。両親が生きていた間、葉子は親孝行らしいことは何もしてあげられなかった。「今ではもう遅い」――そう思う。

 父の死の報せをしてきたのも、母の死の報せをしてきたのも、葉子の弟だった。弟は弟で実家に近い場所で自立して生活を送っていた。当然家庭も持っていたし、息子と娘が一人ずついた。実家との間は時折行き来していたらしい。葉子は、実家のことも弟のことも何も知らなかった。

 それを、彼女の気まま、と決めつけてしまうのは早計だろう。葉子は自分なりの努力をしながら生きてきたし、その人生は葛藤と苦労の連続だった。大学の講師という仕事もすんなりと得たものではない。人一倍の努力をしてやっと勝ち取った仕事だった。

 それだからこそ、同僚たちは葉子を引き留める。

「他にこんな良い職場ってないよ?」

「今までのキャリアを無駄にする気か?」

「そもそも田舎に仕事ってあるの?」

 同僚の誰もがそんなことを言った。たしかに、地方都市にある仕事は少ないだろう。良くて小学校や中学校の音楽教師、悪ければピアノ教室の先生くらいだ。そんなことは誰に言われなくても分かっている。ただ、両親が自分に残した家だけは、どうしても自分で守らなくてはいけないような気がしていた。

「土地と家は姉さんにのこすって」

 そう弟から言われた時、葉子は正直言って驚いた。母の葬儀にも、父の葬儀にも、葉子はほんの顔出し程度に参列しただけだった。二人の死は弟からの報せで知った。死の床を見舞ったこともなければ、死の瞬間を看取ったわけでもない。それほど葉子と実家の両親とは疎遠だった。

「父さんたちは姉さんの仕事に反対していたから」

 と、弟は言う。大学の講師という仕事はもちろん恥ずべき仕事ではない。ただ、父も母も芸術は人を狂わせると考えていた。だから、弟は工業分野の仕事に就いた。大学への進路を決める時にも、葉子は両親とさんざんな議論をした。結局、学費も生活費も自分で払う、ということでそのことは決着した。

 葉子は奨学金の支払いを受け、アルバイトをしながら大学に通った。それだけの努力をしても、父や母は葉子に対して良い顔はしなかった。「自分は疎まれている」と感じたことも二度や三度ではない。

 それが今、葉子は自分の実家に帰ってきている。誰もいない、彼女一人きりが住む家に。父と母は何を思って、土地や家を彼女に遺すことにしたのだろう。あるいは、葉子に対する振る舞いを何か後悔しているところでもあったのだろうか。財産など他にはほとんどなく、弟はいくらのお金も受け取らなかった。



2.学生時代


 葉子の大学生活は充実していた。親身に相談に乗ってくれる友人が何人もいたし、懇切に指導してくれる教師もいた。彼女はオルガニストになりたいと思っていた。

 しかし、彼女の両親に関して言えば、別だった。ピアノやオルガンを習わせたのは教養のためであって、娘を芸術家にするためではない、と思っていた。葉子が大学の音楽講師という「平凡」な仕事についてからも、それは変わらなかった。

 葉子の両親が彼女に連絡を取ってくることはなかったし、彼女自身も実家には一度も帰らなかった。普通、娘が東京の大学に進学すれば、親は心配して何かと世話をしたがるものだ。しかし、葉子の両親は年賀状一枚送ってきたこともない。ただ一度、在学中に「母親が病気になった」という手紙を父が送ってきたきりだった。

 母の病気は間もなく治癒した。その間も、葉子は実家には帰らなかった。大学に在学中も彼女の経済状態は厳しいものだったし、アルバイトの仕事を放り出して実家に帰るというわけにはいかなかった。母の病状は弟が知らせてよこした。それによれば、命に別状はないし、もうすぐ退院できる、ということだった。

 音楽大学という自由な校風のために、葉子はバンドメンバーとして誘われたこともある。キーボーディストが必要だ、ということだった。しかし、彼女自身はクラシックを志向していた。葉子がロックバンドのメンバーに加わることはなかった。それには、作曲の才能が皆無だったことも影響していたかもしれない。決められた通りに楽譜を演奏する、それだけが彼女の才能だった。

 大学の講師たちは、そのことが彼女の優れた点でもあるし、劣った点でもあると考えていた。有名な演奏家に例えれば、葉子はマルタ・アルゲリッチのような演奏をした。グレン・グールドのように個性的な演奏を期待していた講師たちはそのことを残念がったし、逆に保守的な教師たちはそれが葉子の美点だと考えていた。

 彼女が音楽以外に興味を持ったものは少なかった。ファッション、映画、絵画、文学。そのどれにも葉子は興味を示さなかった。ただし、文学の中でも詩だけはよく読んだ。詩は、文学のなかでもとくに音楽によく似ていた。

(いつか、これらの詩たちにメロディーを付けることが出来れば)

 そんな望みは、もし葉子に作曲家としての才能があれば叶っただろう。しかし、彼女には作曲家としての技量が欠けていた。頭の中に思い浮かぶイメージは、既存の曲を聴いたり、その楽譜を見て初めて生まれるものだった。そのイメージが指先に伝わって、彼女は演奏をする。まるで自動人形のように。

 彼女の演奏を「神がかっている」と評した者もいたが、たいていの聴衆はがっかりした。それは、葉子の演奏があまりにも譜面通りだったからだ。だから、例えば楽譜の余白を読み取らなくてはいけない、モーリス・ラヴェルのような作曲家の場合、彼の作った曲を演奏することは葉子にとっては苦手だった。

(せめてフォーレやサティ、ドビュッシーのように分かりやすい曲を作ってくれれば)

 と、葉子は思う。彼らの曲は譜面だけを見れば演奏出来るのに、同じ時代に生きた音楽家の中でも、ラヴェルの曲だけはどこか違っている。譜面通りに演奏すれば、それはどこか間の抜けたオルゴールか、人形の演奏のように聞こえてしまう。実際、葉子の演奏は「人形による演奏」と呼ばれることが度々あった。

 それでも、葉子の学生時代は順調に過ぎていった。複数の奨学金が得られるようになってからは、アルバイトに割く時間を減らして音楽活動に深く打ち込めるようになった。ただそれでも、彼女の作曲技術は向上しなかった。きっと、天性の何かが彼女には欠けていたのだった。

(父や母はわたしにピアノを習わせた)

 それは何のためだったのだろうか……と、時折葉子は悩むことがあった。



3.再び実家にて


 実家のあるS市に帰ってくると、そこは東京とは何もかもが違っていた。まず驚いたのは、エスカレーターのスピードが遅いことだ。

(いくら田舎とは言え、こんな違いがあるなんて)

 と、葉子は思った。この街に帰ってきたのは、母の葬儀以来数年ぶりのことだ。S市の時間は、まるでその時から停止するようだった。もっと言えば、高校の卒業時点から、この街は変わっていなかった。「東京とは何もかもが違う」――あらためてそんなことを思う。

 父の葬儀を済ませると、葉子は一旦は東京に帰った。実家については、空き家の管理業者にその管理を任せるつもりだった。東京での仕事は順調だったし、それを捨てて帰郷する理由はどこにもなかった。

 葉子が実家に帰ることにしたのは、弟がその家に住んでほしいと懇願したからだ。自分たちが子供のころに過ごした家を、そのまま放ってはおけない、と弟は言う。さらに、家を取り壊して土地を売り払うことなどもってのほかだと、弟は考えていた。しかし、今の彼には家庭があり、実家に引っ越すという選択肢はない。ならば、姉の葉子に「自分たちの家」に住んでほしかった。

「どうせ人に教えるだけの仕事なんでしょう?」

 と、弟は言う。弟は父や母とは違って、姉に芸術家になってほしかった。「きちんと作曲も出来るのが芸術家だ」と、弟はかたくなに信じていた。「人に音楽を教えるだけでは、芸術家にはなれない」――それが弟の考えだった。ただ人に音楽を教えるだけなら、東京にいてもS市にいても変わらない。同じことが出来るはず、というのが彼の言い分だった。

(その通りに違いない)

 と、葉子は思う。在学中の期待感は何だったのだろう、と思うほど、彼女の仕事は平凡なことの繰り返しだった。学生たちを前にして講義をする、演奏の指導を行う、彼らの就職先や演奏技術についての相談に乗る。言ってみれば、葉子のしていたのは「退屈な仕事」だった。その退屈さにも葉子は満足していたのだが……

 S市に帰ってきた当初、葉子を襲ったのは強烈な違和感だった。もちろん、東京と地方都市では何もかもが違っている。話す言葉も違う。「自分もこの街で生まれたはずなのに」――東京に長くいすぎたことが、彼女の感覚を変えてしまったのかもしれなかった。

 そして、土地には土地の霊というものがある。そこに住んでいる者たちの生活、生き方、話し方、人との接し方、それらがすべてあわさって、土地の霊というものが出来上がる。それは、ある時はよそ者を寄せ付けないし、ある時は包容力を持ってよそ者を包み込む。

(今のわたしは、この街にとっては部外者なのだろう)

 そう、葉子は結論した。

 家の中にいても、何かが違っていた。それは「淋しい」というのとは違う。むしろ、何らかの力で家の中が満たされている感じだ。ありていに言えば、葉子は自分が幽霊屋敷に住んでいるかのような気分になる。しかし、不思議と父や母の霊魂の存在は感じられない。そのことを葉子は不思議に思う。

 強いて例えるなら、家の中に座敷童が住んでいる、といった感覚だろうか。その名付けようのない感覚に、時として葉子はとまどってしまうことがある。箪笥や本、人形たちが命を持っているのだろうか……そんな風にオカルティックな考え方もしてみた。しかし、そうした安易な結論は葉子を満足させない。「家」は、葉子を拒絶しているのではなかったから。

 仕事は簡単には見つからなかった。まず第一に、S市には芸術系の大学や音楽学校がない。仕事を求めるのであれば、中学校や小学校の講師、あるいは音楽教室の講師などが妥当だったろう。それにしても、音楽の講師という求人は少なく、葉子はS市の環状線に乗ったまま、一日中ぼんやりと仕事のことを考え続けていたこともある。

 当面は貯金と失業保険だけでなんとかなっても、いつまでも無職というわけにはいかなかった。


散文(批評随筆小説等) 音楽と精霊たち① Copyright おぼろん 2023-12-22 13:45:57
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