惚けの呪法
ただのみきや

まなざし

鉄鋼団地公園の横
線路に突き当たる一本路で車を止めた
遠く路幅いっぱいに電車が駆け抜ける
一枚の幕 昔の映画のフィルムみたいに

時間について考えた
わたしは今という電車に乗って未来へ向かっているが
ある地点でそこから落っこちて
今が遠くへ行けば行くほど憶えている者はいなくなるだろう

だがここにひとつのまなざしが残る
時の流れに垂直に対峙するひとつのまなざしが
ひとつの詩を書き残すということはそういうことだと思う
そう 行為としては
幽霊義眼の試着愛好家など
たとえひとりも訪れなかったとしても




転生

ことばをつむぐ
茫漠としたこの繭玉から
こぼれ落ちる音を聞きながら
心象の素描をほどいて記号に変える
紡いで紡いでことばが残り
わたしは消えてゆく




うつむいた薄紫の

花房にもぐりこんだ
蜂は蜜を集め終え
息よりも少し重いからだを
小さな翅で宙に持ち上げると
灌木の濃い影をくぐり抜け
夏の空気にとけていった

花房はゆれていた
金の産毛をなでるような
あるかないかの微風にさえ
長い睫毛のようにはみだした
雄蕊と雌蕊が匂わせる
蜜と花粉のその部屋に
次の毛深い愛人がまもなくやってくる




架空の母神

夏の午後に顔はない
くみ上げた井戸水で幼子を洗う女の
黒い髪がペンに絡まり始めると
日陰を好む蝶が心臓の周りで歌い出す
匂いが濃くなる
むせかえるほど
井戸に浮かんだ片っぽのサンダル
白くむすんだりほどいたりする
剃刀を持った女の手は瓜の匂い



                     (2023年7月23日)











自由詩 惚けの呪法 Copyright ただのみきや 2023-07-23 11:35:55
notebook Home 戻る  過去 未来