無意識ではないことを知りたい、その背景。
白書居

勉強しているといいことがある、と滅多に気づかないのは
日頃、勉強をしないせいだ。

この間、アートをみて、とんちんかんなことをぐるぐるぐるぐる考え始めてしまってどん詰まることがありました。悪気はないのがほんとに性質が悪い。
子供のころ「ひとの話は最後まで聞きなさい」と大人から忠告されますが、
立派な大人になっているのならきっと意味がわかるくらいに実行ができているのだろうって思います。
ひとの話に何が含まれているのか理解しながら聞くってどんな感じだろう。無理だ。日常的に、誰も彼も凄い。
****の描くピンク色の肌がずるむけた皮膚みたいだと感じることがなかった。
煽情的ないくつかのポスターをみたことはあったけれど宣伝のためのポスターで
時代感があって出来上がっていて、人が描いた絵として見ていなかったんだ。
人が描いた絵として見たら、すごい生理的に嫌だ、怖いと思い直して、驚いた。
「美術」と鍵かっこつきで言われるとき、コレクションされてきた他のいろいろの作品のことが念頭にあった方がいい、と初めて考える。 絵でもそういうことがあるんだ、と思った。それから街頭に出て配られたチラシであることも思い出そう。代弁みたいなものがある。
伏字にするとポルノ記事のように見えてしまったのはどうしてだろう。変なの。
私はきっと何かいろいろ錯覚してるんだ。すみません。

これから先のことがあるから時間の使い方がさっぱりわからなくなる。
いまのいままでの感じよりほかのものがいるような気もする。私程度のひとが何を知ったらよいんだろうか。時間は2倍にはならないものかな。
三年寝太郎は力持ちだったかな、彼のことを想像して生活してみるとか。どうやって寝てるんだろう。寝てる間は一人で生きられそうにはないので、想像して気にかけるということをしてみる。
それよりは何か必要そうなことについて詳しい人に順を追って教えてもらうのが良いのかな。どこで? 誰に聞けるの?
このままぼんやり過ごしてうっかりバルサン臭い料理しか出してもらえなくなったらつらいけれど何もしなくてよかったのかな、
何かすこしはしよう勉強を、と先週あたり思いはじめる。私は勉強は苦手なので、勉強ってどういうことだったかがなんだか後からしかわかんない。

誰かに協力できることがあれば時間が増えると仮定して三年間何かを続けてみたらいいんじゃないでしょうか。寝ている相手を背負って過ごしてみるようにして自分を育てたらどうだろう。私は自分にありがとうって思えるだろうか。眠たいときに、自分の代わりに寝太郎である自分が寝ているから起きていても大丈夫だとか、でも次の日には寝てないから眠たくて大丈夫ではない可能性がある。そうしたら寝太郎にやつあたりをするかもしれない。そのときに、いいのだよ寝ていなさいよしよしと思えるか。いつもじゃなくても一週間に一度でも自分にありがとうと言える可能性あるかな。いや、そうではない。寝太郎はまだ寝ているし、ありがとうというのは言われたいんじゃなくて、言いたいことだった。一週間に一回くらいはせめて。自分にありがとうと言えたらいいような気がする。考えてみると、ありがとうと言われてもそんなにうれしくない気もする。すこし考えてみる。心当たりがまだないから嬉しくないのかも。未来の自分か過去の自分からありがとうと言われるイメージで考えてみると、過去では何があるか未来では何があるか、過去の自分からありがとうと言われるイメージは想像できたので、未来の自分だけどわからなくてどうしよう。でも次の日の自分からのありがとうなら想像できるかな、言われたときよりは、良かったねって感じた時に嬉しいんだよな。こういうのって。いま不自由に感じることがあるなら、
→ある。いろんなことを知らなくて自分が普通に考えると間違えていることがとても不自由。
それを未来までに解消できれば、ありがとうとおもえるようになる可能性が出てくる。
方法には何があるんだろう。読書のようなものより読書をしている人の話を聞きたいと思うけど、途方に暮れそうになったときに手に届くのが読書のようなもの、という場合はあるのだよな。すると読書のようなものをする習慣を寝太郎に聞かせようかな。相手が寝ているようにしか思われなくても。
ひとまず今日のところは寝たほうがいいと思うよ。





散文(批評随筆小説等) 無意識ではないことを知りたい、その背景。 Copyright 白書居 2023-04-04 00:41:47
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