永いひとつの息の向こうから
ただのみきや

丸薬

マリーゴールドみたいな顔をした女がいなくなると
わたしは鉛の裏地のジャケットはおって朝霧の中
高台通りを自殺者の絶えない学校の方へ歩いてゆく
いまごろ昨夜の懲らしめをミルクに溶かし仔狐たちは
丸裸のままのきみの突起をもてあそんでいることだろう
朝刊の灰色をした活字回廊から遊歩道へと迷い出て
占い師が酸欠気味の涙目で色彩に喘いでいる
鯨と孔雀を飼育するまぼろしで汚れた下着に火をはなち
持ち主のいない頭骨で釘を打つ真似をしている
たぶん雷のように素早く鈍重な命の思い込みが
戸惑う素振りを見せたかと思うとすぐに揮発して
空よりも大きなあの目に見つけられてゼロになる
また丸薬のように凝縮された時間の糞を踏んだのだ
心象の裂け目から裏返るように刷新されてゆく
寡黙なひと時をあえて言葉にするのならそういうことだ


後ろ向きに歩く顔を隠したこどもたちから遠ざかり
学校の始業ベルを詩行ベルと変換ミスをしたころ
幽霊のような蚊柱が立っているのが見えて来た
路の脇の開墾碑の前に置かれてあったきみの書置きからだ
卵白を塗ったノートの切れ端は少し焦げて空腹を呼び覚ます
ことばは知恵の輪のように絡まっている
わたしは農夫の祈りを貪って朝に斜陽が太るのを感じていた
そのために放置されているとしか思えないバットで地蔵の頭をかっ飛す
心配事と言えばシャツの中を歩きまわる二匹のテントウムシ
それがわたしたちではないかと思うと
なにかしらの死を拾ってはポケットへ入れてしまう
一台のオートバイが走りながら頽れて土に還ってゆく
音も無く笑い転げるように白骨は風にとけた
たぶんわたしのことだろう
いつのまにかサイコロ状の雨が確率をあざ笑い
まどろむ耳を食まれてよだれを垂らしている
二つ目の丸薬 またもクソ踏む 


「死が若返る」そんな声が雑木林から聞こえて来た
生まれつき裏返しの毛皮を持つハリネズミのような男が
キャンディーの包み紙の中でもがいている
赤子のように無力で強欲な祈りの鎌首をもたげるが
その意思は水のように肢体の法則の中で自らに溺れてしまう
わたしたちは互いの双六盤だった
二本の指でモンローウォークしながら出来事には独自の解釈
すべての心地よい響きの横やりが意味の駒を流失させるのに任せ
時を微塵切りにしては人生を薔薇色の血だまりへ変えていった
「今さら死が若返るものか」 
子どもの乳歯を舐めながらもわたしは蛇の舌先を求めている
頭の中で冬の紙袋が一つ割れる音がして
ジグソーパズルがぱらぱら降って来た灰色の歓声のように
きみが暦の上に蜘蛛を見かけて笑った日
金庫の中ではアルビノの心臓が自分の叫びを吸い込んでいた
昨夜も消えないロウソクが財布と交尾していた
机の下で一つの完成しなかった街がたらいの水で泥に帰る
壊れたラジオを分解する以上のことはなにもなかったが


首の短いキリンのように木の枝には届かず股下を覗いている
やがて風の声が縄のように四肢を縛り付け
マグマは容易に大地を引き裂きわたしを飲み込んだ
一瞬で燃え上り蒸発し炭化する
歩道に張り付いた意味不明のピクトグラム虚無の微笑み
自分自身が丸薬のような時の糞だった
手遅れの枕で金魚が踊っている
はだけた季節が宙に一瞬ゆらいで
再び歩き出す 劣化するものたちのつぶやきに食まれながら
そこにある見えない被膜に気付かずに不眠の眼差しに晒されて
いつの間にきみは夕方だったのか
ネジを巻かれた鳩たちが清々しく形を失くしてゆく
スラリと伸びたきみの脚の影にいつまでも触れていたい
空の上から地獄がこぼれてくるまで鬼ごっこみたいに
雨上がりの土手で光りながら まったく
美しい落度だと崩れる肉体の中で笑いが咲く花のよう





見えないモデルのために

その生きものを想うと全身が唾液腺になる
たましいは騙し絵の犬のように物欲しげで張り詰めた
沈黙と化して追いかける

その生きものを想うと手が無数に伸びて
絡まり合いながら電灯を点けたり消したり何度も
その生き物になったり自分に戻ったりする

その生きものは誕生と脱皮と死を繰り返し
残像は白い微笑みに似て忘却の淵から鼻腔の奥の方
鋭い背びれとなって斬りつける

その生きものは飽くなき餓えであり零を掛けられた希望
たえずそこに在って触れることのできない
やわらかな永遠の時限爆弾



                    《2022年10月15日》









自由詩 永いひとつの息の向こうから Copyright ただのみきや 2022-10-15 15:31:10
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