昔の幻
番田 


昔僕はパリで、運河の上に浮かんでいるドミトリーに泊まっていた。あれは何年前だっただろうか‥。僕は勤めていた会社が潰れて、そういうこともあって、気分転換で欧州を巡っていた。6万と、格安な航空券をネットで手配した僕は、その確約メールを日本橋で見ていたものだった。あるいは、電話をHISからもらったのかもしれなかった‥。そして、僕は大きめのトランクを手配して、それを持ってある春の日にドアを開けた。朝5時、なぜなのかは知らないのだが、出張に行くであろう男と、偶然同じエレベーターに居合わせたことをよく覚えている‥。僕は、朝もやの中を駅へと歩いた。


パリに着いた僕のトランクは石畳の道で、一瞬にしてキャスターが壊れてしまったものだった‥。先々の旅程を考えると絶望的だった。そのまま、それをひきずるようにして、僕は歩いた。それから、ベンチの上に、浮浪者のように見える、少しだけ黒ずんだ二人で並んで座っている男を見た。運河はどこまでも続いているようだった。印刷してきた地図を頼りにしていたが、ホテルにまではなかなかたどりつけなかった。僕は旅先でいつもそうするように、女の子に声をかけて道を聞いてみたら、彼女から、かなり無愛想な返事が帰ってきたことをよく覚えている。彼女たちはどのような対応をして、どれだけのチップを渡したら喜ぶのかは、よくわからなかった‥。コンビニもなく、どこで何を食べればよいのか良いのかと、僕は悩んでいた。


トランクの中にはシンクパッドが入っていた。それなしには、デジカメの写真を保存し続けることはできなかったのである。当時はメモリーカードの容量はかなり限られていた‥。そういう意味でも、旅先ではややかさばるモバイルPCを持ち運ぶ必要があった。僕はときどきそれでホテルで音楽を聴いていた。特に小田和正を郷愁に浸りながら聴いていたものだった‥。




散文(批評随筆小説等) 昔の幻 Copyright 番田  2022-02-28 00:08:21
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