故郷と多摩川
番田 

昔僕は中学の頃、部活以外で夢中になっていたのは釣りだったということを、時々思い出している…。僕は、異性と遊ぶということでも、電気式のギターをかき鳴らすことでもなく、一匹の魚を釣り上げるということに没頭していた。僕がなぜそんなことに夢中になっていたのかは全く思い出せないが…、当時、あまり話すことのなかった他のクラスの同級生でも、釣りを通してでなら話ができていたことを時々思い出したりもしている。そして、運がよいことに近所に存在していた広い沼や川に、感謝の念を懐きつつ、その、遠い果てまで広がっていた風景を東京の狭い部屋にたたずむこの目の奥で、確かに、見つめていた。


最近の僕はというと、多摩川でシーバスが釣れるというので、何度か出かけては、通っていた。しかし、何も釣れたことはなく、銀色の魚体に憧れる頭の中には通りで食べた茶色のチキン料理の記憶があるのみだった。そして、もうひとつの記憶としては、黒ビールを振る舞う店の幸せそうだったテラス席の風景。ある日僕は、ランニングで、通い慣れていた川伝いの道を走っていると、野球をしている人や、ラグビーをしている人を見かけた。ああいった場所に集まるような人は、どのような関係上のつながりなのだろうと時々考えたりもする。僕が時々釣りをしているときに、学生のような人に話しかけられたりするのに、似ているのかもしれない。見知らぬ女性が時々釣りをしていると後ろに立っていたり座っていたりするような、野球のマネージャーの気持ちと、同じ類の気持ちなのかもしれないのである。



散文(批評随筆小説等) 故郷と多摩川 Copyright 番田  2021-04-16 00:54:35
notebook Home 戻る  過去 未来