料理で俳句⑭楊梅(ヤマモモ)
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本日のデザート~楊梅(ヤマモモ)~


  楊梅やあまりにあしのはやき過去


 いつもの道を歩いていると、足元に楊梅の紅い実が落ちている。歩みを止めて見上げる。街路樹として使われることがあるとは知っていたが、樹形や葉に特徴がないために(あるいは他の樹と似ているために)なかなか楊梅とは気づかない。金木犀なんかもそうで、香りが漂ってきて黄色い花を見るまではその樹が金木犀だったとは気づかない。花や実が樹下に散り、香りも消えると、樹もその名を隠してしまう。季節を知らせる短い手紙のような樹々だ。

 これまでに楊梅の実とは四回出会った。一回目は五歳の頃。徳山の母の実家の近くの八百屋の店先にあった。リンゴやミカンを除けば果物がそうそう食べられる時代ではなかったので、楊梅は印象に残った。大人たちは食べないようだったが、子どもとしてはうれしい。味は、甘いような、渋いような、日向臭い雑味もあってそう旨いものではない。実の割に種が大きく硬く、食べた満足感も薄かった。

 二回目はそれから三十年後、赤坂の丹後坂の階段。会社が赤坂にあり、昼食をとるために毎日のように丹後坂を上り下りした。丹後坂の片側は壁になっており、楊梅の実はその壁を越えて伸びる樹から落ちてきたものだった。足を止め、見上げる。葉の間にぎっしりと楊梅が実をつけていた。「ほら、ヤマモモ」と昼食の連れに拾い上げた暗紅色の実を見せたが、「?」と無関心だった。楊梅について自分のことを話そうとしたが、止めた。連れは若く、話したところで楊梅を果物とは決して理解しないだろう。

 三回目はパーティ会場だった。今でもあるのかどうか確認していないが、不忍池のそばに法華倶楽部という会社が五重塔を模したホテルを建築し、その披露パーティだった。「よりにもよって、なぜ楊梅がここに」と意表を突かれた。実は鮮やかな色も美しく、五歳の頃の日向臭い暗紅色とは全く別物だった。パーティが進んでも誰も手を付けず、いつの間にか下げられていた。

 四回目は東戸塚の公園。ゆるやかな坂道を登っていると、楊梅の実が転がってきた。転がってきた先をみると楊梅の樹がたくさん実をつけている。公園には子どもたちがたくさんいたが、もう誰も採らないし拾わない。楊梅はただ花を咲かせ実をつけ、実を落とす。鳥さえも来ないようだ。

 楊梅の実は朝摘んだものが昼にはダメになるといわれるほど腐りやすい。あしがはやい。だが五歳の時に出会った楊梅の記憶は、いまも鮮やかに残っている。それにしても、五歳から遥かにきたもんだ。


俳句 料理で俳句⑭楊梅(ヤマモモ) Copyright SDGs 2021-03-02 14:29:50
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