料理で俳句⑮煮凝り
SDGs

本日のお品書き~煮凝り~


 煮凝りや一途は愚かさにあらず


 それをどこで覚えたのか、いつ知ったのか、それが真実かどうかはわからないが、魚の料理法は「一焼き、二生(刺身)、三蒸し、四煮」と記憶している。料理好きなのだが料理本を全く読まないので、この真偽は不明のままに放置している。ググっても出てこないし。

 活きのいい魚なら「一生」(刺身)だろ?と思うが、「一焼き」と焼き物にする理由は活きがいいので臭みが出ない。その魚本来の持ち味が楽しめる、ということなのかと一応納得してはいる。

 刺身の魚は一晩置いたほうがいいとも聞くし、河豚などは柵どり(というのかな、背を二枚、腹側を二枚に下したもの)したものを濡れ布巾で巻いて、冷蔵庫に寝かせていたし。「二生」もわからんでもない。

「三蒸し」はそのとおりだと思う。蒸しは一、二、三、四どこにおいてもいいと思う。蒸し料理はタイミングが難しいので海老以外はあまりつくらないが。

 で、「四煮」(煮魚)となるわけで、これはいささか鮮度が落ちた魚でも、清酒を使うことで臭みを飛ばし、砂糖や味醂、醤油を纏わせるマスキング効果を利用してのことかな。これもそう思えば納得もいく。

 冬の朝、昨晩食べた鰈の煮付けがいい塩梅に煮凝りになっている。なってはいるが煮凝りのままではご飯の友になりにくく、つい温め返してしまう。煮凝りで熱燗は合うのかもしれないが、朝からはねえ。さすがに。

 煮凝りの姿を見るたびに、掲出句のような感慨を覚えるわけだが、そう感じる所以はよくわからないが、なんだか頑固そうな食い物だなあ、と直感する。ほんとはぷるぷる震えるほどの繊細味があるのかもしれない。と、思いつつ季節はもう春、か。


俳句 料理で俳句⑮煮凝り Copyright SDGs 2021-03-03 09:40:54
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