マスクに隠れた病
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親愛なる友よ、君と10年前、出会ってから、人生は大きくガラリと変わってしまった。君が、安らかに眠れることを祈る。私があまりの重苦に耐えられなくら死んだ時は、よろしく頼む。(なに中二病発言しているのだろう)
人生最大の闇ときて、深く深く掘り下げると、「人生最初の闇」に行き着いた。私と出会うのが初めての者も、何度も見かけたことのある者も、話を交わしたことのある者も、今宵、古きから予言されし闇の大地へ送り出そう。さあ、準備はいいかい?(いきなりかよ)
願わくば、これが最初であり、最後の闇であるように。コロナが流行るそのはるか前、後に繋がる体験談を、これから生きる人に届けられたらと思うーー・・・・・・
実話だ。2008年、その頃、小学校へ入学した。新しく入った新居で、今なお置いてある、ピアノスクールで買ったオルガンの上に、今はなきディズニーのミッキー&ミニーちゃんの描かれたカレンダーがあったのを覚えている。2008年、と書かれていた。
前述した記事の通り、高学年になるにつれ、まともなものを食べさせてもらえず、腸や体の器官を壊され、病院にも行けず今もそのままだが、これまでの挫折と失敗の連続した人生が、たったそれだけの原因で片付くわけではない。
何もない、あの真っさらな幼き頃から、とある闇を抱えていた。ううん、魅せられるように、その闇の大地へ、一歩一歩と、惹き込まれるようだった。
ーーああ、行かないで、行かないでと、彼女を引き戻すあたたかな手はあったのだろうか。(また厨二病かよ)
小学2年生、2009年当時、「秋風邪」というものが流行った。俗に言う、インフルエンザなどだ。それから、なんの勧めだったかは分からないが、恐らく子どもの力では無理があるので、大人の力があったのだろう。「マスク」を着けるようになった。
ここまではふつうの話だ。しかし、のちに致命的となる点が、私と家族の両方にあった。私は、恥ずかしがり屋だったのだ。口を見られるのが、恥ずかしかった。そして両親は、子育てよりもゲームやギャンブルに走ったり、怒りという態度や言葉の暴力を振りかざす人たちだった。傷ついた心と体を、治してはもらえなかった。(無法地帯だね)
さて、その件とマスクがどうなったか分かるだろうか?・・・・・
恥ずかしがり屋な少女は、歯の生え変わりというのもあり、口元を見せるのをひどく恥ずかしがった。そして毎日毎日、春になって進級しても、夏になって暑くなっても、マスクを手放せなかなった私を、両親は止めることもなく、むしろ進んで着けさせるようになった。
すでにお分かりだろうが、昨今の世の中でマスクを着けるようになったあなたならお分かりだろうが、「マスクを着けるとトラブルがある」のではないだろうか?ニキビ、肌荒れ、口臭、いろいろあるだろう。メイクをしなくていいので適当になるという点もあるかもしれない。それをトラブルだとは思わないが、なんらかの影響によるものに対して、あなたには対策があるかもしれない。(美容や清潔感に気をつかっているならなおさらだよね)しかし、要は、そういった治療が一切されなかった子たちがいる。
先ほども言った通り、歯の生え変わりであったので、成長過程の子どもでは、歯がガタガタに。そして、人に見られていないという人見知り特有の安心感からか、口呼吸をするようになってしまった。そして、マスクで隠されているので、誰もそれに気づけず、(むしろずっと着けさせるのもおかしいと思うけど、両親の常套句は「娘の好きにさせているんです」だったので)指摘を受けなかったので、ますます進行し、アデノイド顔貌というものになってしまった。(カピバラさんと言われるのが辛かったな)
アデノイド顔貌とは、鼻の奥にあるアデノイドというものが、口呼吸により肥大化し、横顔がカピバラさんのような突出した状態になってしまうのだ。実は、一度なると(子どもでは可能性があるけど大人では)治すのが難しいらしく、それを知った時は絶望したものだ。「私を、過去のふつうだった私を返して」と何度も思った。あっ、この状態になっても、気にせず心優しくオープンに生きてる人もいるから安心してね!
あんまり書くとダラダラ闇が続くと思うのでこの辺で終わりにするけど(なんか書いてる内にPOPな口調になった)軽く言えばその後も、
見た目がコンプレックスで精神悪化→ますますマスクが手放せなくなる→友だちや大人と仲良く打ち解けられない→生きる意味や充実感の低下→そうだ!遠くの別世界に行けば人生変わるかも!→受験するも変わらず→せっかく入学したお嬢様学校を不登校→自ら病院(心療内科、歯医者)に通うも、精神不安定&両親の虐待でその他体調を崩したり、相談できなかったりで精神不安定のため辞退→2〜3年ひきこもる
恋愛や学校、友だちなど、人生で必要なものを数えきれないほど諦めてきたけれど、ようやく少しずつ取り戻してきている状態です。ここに書けているのも奇跡なくらいで、本当はいつ、死んでいてもおかしくなかったです。自業自得という声が上がるかもしれないけれど、しかし私が生きてこられたのは、「同じような苦しい思いをしている人たちをそのままにして逝けない。せめて彼らの先に立って壁や盾になりたい」という思いがあるからです。かっこつけていると思われるかもしれないけれど、どんな苦言も苦難も受け入れるつもりです。できれば痛いのは嫌だけれど、覚悟しています。
このままでは危ない人が大勢います。助けてくれませんか?ただ、そこにいることを認めてくださるだけでいいのです。いいねとか共有とか、抵抗があるかもしれないけれど、それだけで救われる、多くの悩める人がいるのです。
そして、お子さんやご自身が、そういった状態に陥って悩まれている方とか、ぜひお話を聞かせてください。例え人とは少し違くても、あなたのストーリーを聞かせてください。なにができるか分からないけれど、同じ仲間として、痛みを分つことはできます。なにかできることがあれば私にさせてください。
それでは、長きに渡りありがとう。また今日も、一分一秒でも、気が楽になって、生きながらえてくれますように。