作家とはどういう人たちなのだろう。
だいぶ以前のことだが、田久保英夫(1928〜2001)の「小説創作」のセミナーに通ったことがある。そこでは「小説家はひとでなしだからね」が彼の口癖だった。「ひとでなし」は、小説をかくために多くのことを犠牲にしたり顧みなかったという自嘲の言葉であろう。ときには人間的な心さえ捨てなければならないこともあったかもしれない。
映画「ゴッドファーザー」の原作者、マリオ・プーゾは「家庭の不和を仕事にもちこまない。翌日さっぱりとタイプライターに向かえないようなら妻を捨てる」と言い切っている。
作家とはやはり鬼のような連中だ。
私には一篇の詩のために愛するものを捨てるなんてできそうにない。妻を捨てるなど、とんでもない話だ。私は「ひとでなし」ではないが「ろくでなし」ではあるので、妻に捨てられることはあっても、捨てることは絶対ない。って、いうか、できないぞ(笑)
いやいや、また、くだらないことをかいてしまった。
本題に入ります。
※
なんだか漫然と評と称することをしても芯がないような気がしてきました。だいいちランダムで出てきた作品に必ずコメントをつけるのは、かなりムリムリな感じです。そのうちどうでもよくなって玉虫色の恣意的感想におち入る前に、ここはひとつ評の基本になるものを提示して、それに沿ってコメントしたいと思います。基本に届かない場合、その作品は技術的な指摘にとどまるでしょう。とはいっても、私はもちろん権威ではありえないので、辛口でも気にしないように(笑)
●とりあえず基本七項目
(*1) 正確な日常語を使用しているか。
(*2 )はっきりとしたテーマを持っているか。
(*3 )鮮明なイメージになっているか。
(*4) リズムを工夫しているか。
(*5) 拡散するのではなく求心的に書いているか。
(*6 )読後に余韻が残るか。
(*7) アタリの感覚があるか。
これは二十世紀前半のイマジズムの方法を参考にしたものです。昔の詩人たちが提唱したものですし、絶対的な物差しであるはずもないのですが、個々の作品の技術的な問題点を浮き彫りにすることはできると思います。かれらはイマジスト、日本語では心象派と呼ばれ、抽象的な言葉を嫌い、明確なイメージを好みました。
参照→
http://www1.seaple.icc.ne.jp/nogami/epih8.htm
では、はじめます。
□其の壱百四拾九
『同窓会』 恭二 ☆☆☆☆☆
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=1032
四行ずつ二連の詩で、「告白した」と「再会した」。 「そうか、悪かったな。」と「そうか、良かったな。」など、それぞれ対応させている点に形式への配慮をみました。しかし余韻を感じませんでした(*6)。読後も続く詩情がほしいところ。
□其の壱百五拾
『マリーノ超特急』 かの寿星 ★☆☆☆☆
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=18919
冒頭の「あわくふくよかな海洋特急列車」のイメージ(*3)がすぐには結べなかったが、全体に手なれた筆はこびで安定感があります。最終連に贅沢な時間の広がりを感得しました。
□其の壱百五拾壱
『サブッ!!』 虎狼 ☆☆☆☆☆
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=6873
短歌はしなやかな抒情の容器だと思います。しかしながら、ここにはイメージも発見(*7)もありません。五七五七七だから短歌というのでは、あまりにも安易かと。
□其の壱百五拾弐
『宝石と空』 こむ ☆☆☆☆☆
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=27286
最後の二連((*6 )をもっと生かす展開になれば好ましい作品になりそう。行を空けてかくのは、この詩では無効で、かえって全体の美観を損なっています。
□其の壱百五拾参
『なぐりがき(4)』 中田満帆 ☆☆☆☆☆
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=17908
言葉の連結がちょっとゴツゴツした感じ。たとえば「捨てられし壜の底より見る町のいびつなる群われも加はる」においては、「見る」「いびつなる」「加わる」と「る」の音が重複し、渋滞しているのが気になりました。
□其の壱百五拾四
『花粉症』 あなたのベンジャミン@千葉 ★☆☆☆☆
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=32225
普通の文章として、それなりに感じ入る点はありますが、詩の表現としては弱い印象です(*7)。ただ意味を伝達するだけではない詩語の獲得が今後の課題でしょう。
□其の壱百五拾五
『十八』 最果タヒ★★☆☆☆
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=21463
鏡のなかの自分と、とりとめのないオシャベリをしているような感じ。これといったテーマもなく収斂する先の見通しも立たない、いわば私のいう基本(*2 )(*5)を逸脱したかき方ですが、ちゃんと詩になっている。先天的な資質なのだろう。若い自意識の痙攣が面白いです。
□其の壱百五拾六
『ガラスのシズク』 りぃ ☆☆☆☆☆
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=3670
静止画の世界みたいです(*3 )。「ガラスの海が波打つ」のも実はそう見えるだけかもしれない。だからきっと「巨大なイルカが迷い込む夜」の「少年の夢」は穏やかではないと悲しんでいるのです。「静かな世界だ」といい、また「とても静かだ」と繰り返すのは強調のつもりでしょうが、こういう短い詩では効果をじゅうぶんに測定してから使った方がよいと思います。
□其の壱百五拾七
『暗室炎冬』 守り手 ☆☆☆☆☆
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=28937
俳句のジャンルだが季語の使用が統一されてないので一行の詩として読むべきかもしれない(*1)。また季語を入れればいいというわけでもありません。要はそこに新しい俳味があるかどうかということ。さらに言えば俳句は美しい日本語の宝庫を思い浮かべずにはかけないものです。ぜひ歳時記に親しみ、みずからの詩語の貯蓄を増やしましょう。なんて、私が言うのはおこがましいか。
□其の壱百五拾八
『笑う人』 川元緋呂子★☆☆☆☆
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=4682
最後まで読むと、しんみりとした趣きがあります。「笑う人」はいじらしい。でも、ちっとも幸福そうに見えないし、「『明日笑う』養成ギブス 」のところでは失笑すべきなのに笑えないのはどうしてだろう(*6)。
□其の壱百五拾九
『裂け目から』 流川透明 ★☆☆☆☆
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=25883
こういう詩は瞬間芸みたいなもので、おお!と思ったらアタリです(*7)。そうそう、「裏返しにしたら」「裏側の私が出て」くるんですよね。私なんかやりすぎて、いまでは、どちらが裏か表かわかりません。
□其の壱百六拾
『うらやましくて』 rue ☆☆☆☆☆
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=12637
何をかこうとしたかはわかるのですが(*2 )、「詩や日記を書いて汗を流さず暮らしている自分が恥ずかしくて」が本音なら、いますぐ労働してみることをお勧めします。「詩や日記」を書くのにも汗をいっぱい流しましょう。百パーセント勇気です、って、 忍たま乱太郎か。
※
というわけで。
わーい、あと40人!
今日は肩こったので、またこの次ね。