四月
kajitsu

 
 あなたの体温が近づいてきた、と日を追うごとに思う。駅のプラットホームですれ違う人々も薄着になり、半袖のTシャツ姿も時たま見かける。不本意に外套を脱がされていく様は、虫なら脱皮、植物なら蕾が開いたり種子が芽吹くという誕生を、桜や椿の花弁とともに匂わせるが、裸へと、生まれる前に戻っていく気がする。

「平熱が36℃なら胎内は38℃ある」という医者の話を耳にした時、じゃあ、夏は生まれていない頃の、ひょっとすると受精卵のパーツや、さらに時を遡った頃の記憶なのかもしれない、と思った。

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 さくら色という言葉は、ピンク色や桃色よりも脈動があって個人的に好ましい。(桜が好きかどうかについては沈黙するだろうけれど。)
 その名が示す色以外に空色も同時に浮かんでしまう。つい先日、花見の名所である千鳥ヶ淵公園に行ったこともあり、川べりに生い茂っていた草の黄緑も今は足される。

 さくら色は日を浴びてそよぐこともあれば、日や水気を含んで白みを帯び、透けることも反対に色濃さを増すこともある。けれど、さくら色の動きは速い。さっきまであった色は、振り返ると無いのかもしれないのだから。――こういった先入観に騙されるのは美しい。


散文(批評随筆小説等) 四月 Copyright kajitsu 2018-11-03 12:34:08
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