金平糖草と野うさぎ
愛心

昔々ある山の麓に、綺麗な水を湛えた大きな湖がありました。
水際には雪のように真っ白な小さな花が咲き乱れ、いつも、きらきらと揺れながら、囁くように唄っていました。

いまは昼。 のちに夜。
水面が揺れる。 風に揺れる。
わたしは踊る。 吹かれて踊る。
空に月。 わたしは星

その声のなんと愛らしく、美しいこと。
ガラスの鈴と銀の鈴を、ビロードの上で優しく転がしているようでした。
山に棲む生き物達も、素敵な花の唄に、草を食むことや狩りすら忘れ、その場で耳を立てて、聞き入るのでした。

ある、満月の晩でした。
月明かりに照らされた小さな花は、夜空を煌めく星のようでした。
風に揺られながらいつものように唄う花に、幼い野うさぎが近づき尋ねてきました。
「お花さん。お花さん。聞きたいことがあるのです。」
野うさぎのはっきりとした声に、花たちは驚いて唄うのを止めてしまいました。
野うさぎの足元に生える一輪が、優しく叱りつけます。
「静かな夜にそんな大きい声を出すものじゃないわ。」と。
野うさぎは恥ずかしくなってふすふすと鼻を鳴らしながら耳の後ろを掻きました。それからひげを整えると、姿勢をただし、足元の花に顔を近づけました。
「おうたの邪魔をして、びっくりさせてごめんなさい。驚かせたかったわけじゃないんです。違うんです。皆さんに聞きたいことがあったんです。」
「何がお聞きになりたいのかしら。」
まるで首を傾げるように揺れた花に、野うさぎはさっきより少しだけ大きな声で、でも驚かせないように優しく尋ねました。
「お花さんたちは何故、そんな美しい声をしてらっしゃるのですか。ぼくもそんな声が欲しいのです。」

湖の水面が風に撫でられ、さあさあと音を立てたかと思うと、水際は美しい音に満たされました。花達が一斉に笑いだしたのです。
野うさぎはさっき叱られた時よりもっとずっと恥ずかしくなりました。鼻をふすふすと鳴らし、せわしなく耳の後ろを掻きながらその場をぐるぐると歩き回りました。
「ぼく、ぼく、そんなに可笑しなことを言ったかなあ。お花さん、お花さん、嗤わないでくださいな。」
野うさぎを叱った花が、その小さな色白の顔を柔らかい尻尾にそっと寄せました。
「笑ってしまってごめんなさいね。あんまりにも可愛らしいことを訊くものだから。」
野うさぎは花に向き直ると、ビーズ玉のような眼で見つめ、じっと答えを待ちます。花はころころと咳払いをすると、一斉に囁くように唄いました。

今は夜。 のちに朝。
星のわたし。 大地に戻る。
美しい声。 わたしのすべて。
わたしは花。 一輪の花。

唄が終わると、野うさぎはふーう、と長いため息をつき、うっとりと地面に寝そべりました。
「ぼくにも、こんな声が、だせたらなあ。」
花が慰めるように野うさぎに唄います。

あなたの足が速いように。
魚が自由に泳ぐように。
鳥が空を羽ばたくように。
わたしにはこの声があるのよ。

野うさぎは自分のよく聞こえる耳が、美しい音に包まれる心地よさに、そっと目を瞑りました。しばらくして、規則的な寝息が聞こえると、花たちは幼い訪問者を起こさないように、また、優しく唄い出しました。

今は星。 のちに花。
声なきもの。 か弱きもの。
だから唄う。 花のために。
小さなわたし。 一輪の花。

湖の水面に満月が映ります。良い夜です。


自由詩 金平糖草と野うさぎ Copyright 愛心 2018-09-16 00:50:08
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