あおば

小学校入学するとき、文字を知らないわたくしに父が氏名だけはひらがなで読めるように教えてくれた。(ついでに、’を’も教えてくれた念の入れようだった。親は有り難いものだ。)
持ち物に名前を書いて、自分のものかが分かるようにしておくようにと入学前の注意を母が聞いてきたからだ。
平生から、ひらがなからは、ツタが蔓延るような邪悪な感じを受けていたので、そのような邪悪な文字を扱う学校などには行きたくないと、入学前1週間は本当に嫌になった。今で言う入学前鬱症状なのだろうが、当時はそんなこと知らないから、それに加えて、小学校6年間、中学校3年間、高等学校3年間、大学4年、合計すると16年も学校という名の監獄に入れられる。無事に出所したとしても、その時は早くても22歳になっている。22歳と言えばいい大人ではないか、大人は仕事しなければならない、もう、今までのようにのんびり遊べないのだなと思うと、鬱になるのも当然かもしれない。
しかし、義務教育後、大学まで考えていたとは、いささか呆れる。当時は高校進学すれば良い方で中卒が普通だったからだ。
とにかく、かなも知らない子供が、6334の学制を知っていたの不思議な気がするが、兄を高校に進学させるのさせないのと夫婦喧嘩の種になっていたからかもしれない。
あなたは'を'なんて文字は最後に習う文字かと思うかもしれないが、父がついでに教えてくれたのだから、なんか気軽な感じもして親近感が芽生えた。
わたくしはだから、’お’よりも’を’を尊重している。それなのに’を’をオマケのポイントのようにように軽薄に考える人が多くて腹が立つ。’を’の方が偉いんだといくら思っても誰も同意してくれない。’を’がなかったら、誰ひとり生きていけないのだぞと恫喝しながら、今日も生きている。
冗談抜きに、’を’を軽視するとろくなことにならないぞと繰り返して記しておきます。



初出「即興ゴルコンダ(仮)」
  http://golconda.bbs.fc2.com/
  タイトルは、阿ト理恵さん






自由詩Copyright あおば 2016-02-02 23:27:38
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