かえられないからかえれない
あおば

                       160206

ご指摘の写真の情緒のある川は、全国的にかってフォークソングで知られた神田川です(同棲時代という言葉もあったような気が・・)。お江戸の昔は上水として使われ、魚を捕ったりも禁止されていたとか・・、みんなこっそり捕っていたようですが・・。現在は半分どぶ川、半分湧き水で案外澄んでいて、水草なども沢山生えているのですが、誰かが鯉を放流したので、彼らが水底まで掻き回しては他の水生動物をみんな食べてしまい、まことにつまらない水中風景です。
鯉だけのひとり勝ちという、何処かの国(世界)の見本のような状況です。昔は鯉なんて滅多に現れない貴重な魚で、捕まえると後世まで語りぐさになったとか。雑魚やオイカワ、タナゴ、ウナギ、ナマズ、ドジョウ、エビなどが沢山居たのですが・・、昭和になってからはアメリカザリガニも増えたのですがどうしてだかアメリカザリガニは捕っても誰も食べませんでした。美味しいのに!(後年、ホテルでのバイキングに大きな笊一杯の茹でたアメリカザリガニもあり、試しに食べてみたところ、神田川のと味に変わりなかったのでがっかりしました。洋式ホテル=高級、神田川=低級の観念が強かったので、期待したのですが・・。)雷魚も少しだけ居たのですが・・、彼らはどう猛でたらいの中でも近づくと威嚇しました。日本原産で無い魚の恐ろしさが身に染みましたが、金槌で殺され、切り身にして焼かれました。友人は食べてうまいといったのですが、私は怖くて、食べる気もせずに観察に終始してました。雷魚はどう猛で怖い、しかし、美味しい。テトを祝う魚として多摩川に雷魚を捕らえに行くアジア系の人たちも存在するのです。 姿の良いフナは余り居なかったように記憶してますが、小川には小鮒が少し居りました。初夏には蛍も飛んでいたとのことですが良い子ぶっていた私は明るいうちに帰宅していたので(川の周辺は真っ暗になり危険なので・・、狩猟民族は明るいうちに帰るのだBY萱野茂)しかし、もはや戦後ではないと言われた1955年頃から急速にどぶ川化が進み、河川改修の名の下に流れも変えられ、今はどぶ川兼放水路です。大雨の時は殆ど溢れるばかりに激流が流れるようです。落ちたらやばいので目撃したことはありませんが・・。
昔の神田川を覚えている人もどんどん少なくなりました。その頃の写真がどこにも無いのです。当たり前の風景だったので誰も写真に撮らなかったからです(私の知っている限り撮った人は少なくとも一人は居たのですが、そのフィルムを預かった阿呆が粗末に扱い紛失してしまい、残っておりません。価値が分かっていた撮影者はかなり後年までそれを悔やんでおりました。カメラが貴重な時代なので・・、若年者にはカメラを手にする機会も少なかったからなのと紛失が分かったときには、風景が無くなってしまっていた、戦後の急激な風景の変化の一例です。)私の兄なども電車の写真は撮っても神田川は一枚も撮していません。彼も神田川にはよく釣りに行っていたのですが・・。フイルムが高かったので、高校生には撮す価値がないと思われる見慣れた風景、しかし、今や頭の中にあるだけの幻の風景となっております。繰り返せ、今はどぶ川兼放水路。

「神田川」 南こうせつとかぐや姫↓
https://www.youtube.com/watch?v=JSgyHiKESGw


初出「即興ゴルコンダ(仮)」
  http://golconda.bbs.fc2.com/
  タイトルは、こうだたけみさん





自由詩 かえられないからかえれない Copyright あおば 2016-02-06 22:47:31
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