田代 深子氏の3作品
Dr.Jaco

フラッシュバック
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混線させる者
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鳴動
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1つを取った方がよいのかもしれない。ただ読後感に相通ずるものがあったので、3つについて
代わる代わる触れながらお話させて頂きます。

「相通ずるもの」は実は「相通じないこと」に歯噛みする作者の生真面目さ(聞いても聞いても
ピンとこないよとか、言っても言っても分かってもらえないよ、とか言ったことを書くこと自体
を私は真面目だと思っている)が、鉛筆を噛むだけならよいが自分の後頭部を齧り取ってしまっ
たりとか(他人の背中を齧るのは自分の背中を齧るより痛いし)、「言ったら分かってもらえる
かも・・・」という希望すら掴み取って捨ててしまったりとかする自虐的図式。激しいフレーズ
に暴虐の恐れを抱かないのは読み手を攻撃しているようには感じられないから。

伝えたいとか、分からせたいとかいう欲望を巡って、ここでは「伝えたい物」ではなく「伝えた
いという切なる気持ち」がモチーフの姿を借りて晒け出されている。だからそういう気持ちを持
たない者には激しいフレーズの集合体にしか見えないし、「プレーンオムレツが宙に浮かぶ姿は
まるで映画『マトリックス』みたいね」ということになる。別に詩人あての手紙では無い。自閉
症の方とか、そんな専門的なことは分からないが、無神経な上司たる私を時折ちらちら見ている
部下の女性だってそんなことはあるのだと思う。

話ずれたが、ひとつひとつの言葉に丁寧に反応し(感応し)、そして儀礼的に自分の言葉を吐き
出そうと努めるほどに、書き手の言葉には過激さとは裏腹の真面目さが漂うのだと思う。
作者の五感に届く情報量は、のんべんだらりと過ごしている人間にしてみれば想像の範疇を超え
ているのである。それは入って来るもの全てを(言い過ぎなら殆どを)捨てずに持っているから
だ。そうした個人差は避けられないのだが、作者は反芻する暇なく、それをデフォルメして吐き
出す。その過程のスピードを感じる。

「宙をささむけに削ぐ切望の伝播」(混線させる者)

万人(言葉古いか・・・)によって発せられる「切望」の密度の濃さについて、感応の可否には
明らかに個人差がある。要は自分の切望だけが見えている人もいるだろう、ということだが、作
者は肉感的に感じ取った他人の切望をも表現すべきもののリストに加えてしまった。文豪の生涯
とか生き様とかに興味はないけれど、こういった雰囲気の感知は「相通ずる」のではないか。

ところでカッコつけて「相通ずる」なんて書いたが、書いた本人が「相通ずる」って何か、明確
でないことも白状すべきだろう。作者もこれだけの書き続けてなお書き続けるのだから同んなじ
かもしれない。作者のモチーフは書く動機そのものかもしれない。
だが、「裏返り」したり「歌う」ことを続けたりして突破したいという作者の心意気は、私なり
に感知できたと思う。

ただ、方法として、作者の状況を言うのか、「雷鳴のごときフレーズ」や「真に新なるフレーズ」
を作者なりに出してみるのか、厳然と区別があると思う。
ある日突然、「適当にちぎっては投げ」たようなフレーズを作者は書くかもしれない。
その時、静寂のクレーターが私の心で激震するかも。


散文(批評随筆小説等) 田代 深子氏の3作品 Copyright Dr.Jaco 2005-02-08 00:49:11
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