草鞋を履いて
yamadahifumi

イメージとしての我々は

今、貨幣以上の

激しいインフレを示しているように思われる

我々が掲げる幸福のイメージは高く、それ故に

我々は常に激しい飢渇感に襲われている


広告代理店が掲げる無数の

乱立するイメージの群れ、あるいはネットで掲げる

自分達を正当化してくれるイメージ そのどちらもが

僕達の実像と乖離して

天まで飛んで行くかのようだ


人は

自分が自分である事を嫌う時

一足飛びに神になろうとする

そして、世界が勝手に作り上げたイメージと自分とを一体化し

そうした神になろうとする


しかし、人間は神ではないので

その人物はいずれ、地面に引き下ろされざるを得ない

今、僕が考える物語の骨子は

そのようなものだ


イメージの乱立する群の中で

君はふいに思う

「自分は幸福なのか?」と

だが、その時、君の「幸福」に

人々が先見的に投げ入れておいた一つのイメージを 君は

発見する事ができない

だから、君は幸福になれないまま

永遠にそれを追い続ける現代的な動物の一人となる


世界にはまた「不幸」のイメージもあり

例えば、〇〇の為に、自分を損なう事は

美しい「不幸」のイメージとして表象されている

例えば、九回ツーアウトでヘッドスライディングする八番バッター

あるいは

大義名分の為に死んでいった兵士達

しかし、それが何であるのか

僕は見ないといけないと思う

先見的なものをただ受け入れる事は

いかなる意味でも哲学とは言えないから


…僕が今、寂しさを感じているのは

世界が落下するスピードを一人

感じているからだろうか

人々の破滅をかけたゲームを 僕は

傍観者の立場から見守っているに過ぎないというのか


…多分、世界が壊れてもなお

人間はそこに立っているだろう

そして、その人間はおそらく一人

農作業から自分の歩みを始めるだろう

MBAの取得を試みる事なく

そして、そんな風にまた新たな世界は

開拓されていく事だろう


そして、全ての人々の足音は過去の

「清い」過去の歴史として封印され そうして僕達はまた

新しい一歩を踏み出すだろう

これまでの全ての人の血が染み込んだ

一足のわらじを履いて


自由詩 草鞋を履いて Copyright yamadahifumi 2014-07-20 04:25:12
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