僕が『小説』を書くきっかけになった、とても小さな出来事   (短編小説)
yamadahifumi

僕の実家の近くに、一軒の八百屋があった。その八百屋は『杉本青果店』というごくありきたりの名前だった。その八百屋では、おそらくは杉本夫妻であろう中年二人の男女がただ淡々と働いて、野菜を売っていた。僕は登校の際にいつも、その前を通りかかったものだ。僕が小学生の時も、中学生の時も、そして高校生の時も。僕が年を重ね、大人に近づいている間もその八百屋の夫妻はずっと、時が止まったかのようにそこで野菜を売り続けていた。二人は来る日も来る日も、そのみすぼらしい店の先で野菜を売り続けていた。野菜は大抵かごに盛られていて、そしてそれは驚くほどの安値だった。そして僕はその八百屋にはほとんど何の興味も覚えず、またその二人の色黒の、労働者の化身みたいなその夫妻に特に注目する事もなく、ただ登校路としてその前を通り続けていた。そうやって時は流れた。僕はちっちゃな小学生から高校生になり、そしてその夫妻には皺が増えた。時が僕らに与えた作用は、ただそれぐらいのものだった。

 高校生になったある日、僕はふと、その二人を見て、軽蔑に近い感情を覚えた。その理由はよく覚えていないが、ほんの気まぐれだったのだろう。僕はその二人を見て、「ああ、この人達はこうやって人生を終えていくんだな」と思った。「この人達は、この八百屋以外の、それ以外の広い世界を知らないんだ」と、僕はそう思った。僕はその頃、文学に手を出していたので、どうやらこの世界には、自分が生きている世界とは違う世界がどこかにあるんだという事を認識し始めていた。…八百屋の夫妻は、そんな僕に目もくれず、たださっさと手を動かしていた。そしてそれは彼らの中で何十年という時を紡いできた、そのような伝統的な作業なのだった。

 更に時は流れた。僕は大学生になっていた。僕は上京し、そして都内の芸術系の大学に通っていた。僕は小説を書き始めていた。それらの小説はどれも、今から振り返るとごく下らないものに見える。どれこれも通俗的だし、あまりに凡庸でつまらないものだった。しかし、僕はその頃、得意で、他人の迷惑も顧みずに、その小説を嬉々として他人に見せたりしていた。すると他人は気まずそうに、「まあ、悪くないんじゃないか」というような事を言った。…それでも、僕は気を腐らせずに、書いた。書きまくった。僕は二十歳前後で自分が小説家になれるような気がしていた。そんな風な事を、誰しもそのぐらいの年頃には考えるものだ。だが、それは決まってうまくいかない。僕はその時期を、そういう凡庸な大学生として過ごした。恋愛もし、飲み会などで騒いだりもしたが、全ては実に馬鹿馬鹿しい出来事だった。そうやって僕の若年は過ぎ去った。

 もちろん、僕は小説家になれなかった。僕は大学卒業後、普通のサラリーマンにさえなれなかった。僕は未来というものを漠然と「どうにかなるのだ」と考えていた。小説家になれる、というのもその未来の一つだ。だが現実は違った。気づけば僕は小説家になれず、新卒で就職する事もできず、ただのニートになっていた。そして僕は自堕落のままに、そのまま二年間もニートをし続けた。その間、僕はほとんど何もしていなかった。ただかろうじて少しだけ、何か書いたり読んだりはしていた。後は建設的な事は何もしていなかった。一切。

 二年が過ぎて、僕は二十四になっていた。何かを決断しなければならない年だ。親も、もう来年からは金を送らないと僕に最後通告を出していた。…僕はしぶしぶ、仕事を始めた。といってもそれは正社員ではなくアルバイトで、近所のコンビニの夜勤だった。コンビニの夜勤は楽で、しかも廃棄弁当ももらえるので割は良かった。朝勤の高校生と文学の事について話して、仲良くなったりもした。でも、事態は別に大して変わったわけではなかった。僕の小説は相変わらず、子供の書く「お話」を超えたものではなかった。

 そんなある日、僕は帰省した。お盆だったと思う。親がたまには帰ってこいとしつこく言うので、仕方なく僕は帰省する事にした。実家に帰るのは大学生以来だった。僕は自分が二十六歳にもなって、何者でもないという事に恥じ入るようになっていた。二十歳の頃には、何もかもがうまくいくと思っていた。その頃僕は、早々に小説家としてデビューするつもりでいた。しかし現実は甘くなく、僕は同級生達よりも劣るただのコンビニ夜勤者に過ぎなかった。プライドの高い僕には、その事は恥ずかしい事に思えた。だから、実家に帰るのも嫌だったのだ。そこで昔の友人達と会うのも嫌だったし、親と顔を合わせるの嫌だった。しかし僕はもう新幹線に乗ってしまったのだった。だから、その屈辱に一人で耐えるしかなかった。

 家の最寄り駅から、僕はわざと徒歩で帰る事にした。駅から実家までは歩いて三十分ほどあるが、僕はその少し遠い道のりを、わざと噛みしめるようにゆっくりと歩いた。…町の風景は、大学生の時に帰った頃とほとんど変わっていなかった。ただ一つ、二つ、畑が潰され駐車場になっていたぐらいのものだった。

 そして、その道程でふと僕は、あのすっかり忘れていた八百屋を発見したのだった。…僕はそれに、本当に何気なく気づいたのだった。『杉本青果店』。その薄汚い看板、そして店頭のざるに盛られた野菜。そして、そこで働く杉本夫妻。全ては何一つ変わっていなかった。二人はそこで相変わらず野菜を並べたり、ダンボールを畳んだりしていた。

 その二人の姿を見た時に、ふいに僕の中を電流のようなものが走った。陳腐な表現だが、それ以外に言いようがない。その時、僕はその人達がその場所を何十年間と守り抜いてきた事を知ったのだった。高校生の頃、僕は心の中でこの二人を軽蔑した。「この人達はこんな所でこんな風に人生を終えるのだろう」ーーー。だが今、現実はどうだろうか。僕には何一つ守るべきものはなく、コンビニで自堕落に働いては遊ぶだけ。だがこの二人は少なくとも、この小さな八百屋を何十年と守り通してきたのだ。絶えず働き、手を動かし、足を動かして。彼らはその時、もう既に何かを成し遂げていたのだ。未来を空想ばかりしている僕とは違って。僕は「杉本青果店」の前を、屈辱に満ちた思いを抱きながら通り過ぎた。二人は僕を見なかった。僕もまたそちらを見なかった。

 帰省を終え、元のアパートに戻ってくると僕は、これまで自分の書いた小説のデータ、そしてその原稿用紙などを全て一斉に捨て去り始めた。その決意は、新幹線でアパートに戻ってくる時に固められたものだった。僕は、アパートに帰るなり窓を開けて空気を入れ替え、そして原稿用紙や、コピー用紙に書かれた汚い乱雑な文字達を片っ端からゴミ袋に入れはじめた。それは丁度ゴミ袋二つ分くらいあった。僕はそれを縛って閉じ、そして即効でゴミ捨て場に捨てに行った。そして戻ってくると僕はパソコンの、『小説・倉庫』のフォルダを削除した。削除には一分も掛からなかった。全く、テクノロジーというのはありがたいものだった。

 そして、その時、僕は決意していた。これまで書いていた小説はどれもいい気なものであり、単に文学青年の遊戯に過ぎなかった。そして、これから書くものは、これまでとは違う、一つの確かな生の実感にしよう、と。もちろん、そんな事が実際にできるかどうかはわからなかった。それでも、もう自分で自分を変えなければならない場所まで僕が来ているのは明白だった。僕の頭の中には、あの杉本青果店の二人がちらついていた。あの二人は確かにこじんまりとしているかもしれないが、しかし、彼らは彼らの確かな生を生きている。だから僕もまた、自分の生を生きなければならない。そしてその為には僕はまず、確かな生の実感のある小説を書かなければならない。これまでのようにうわついた登場人物やプロットをひねくり回した、玄人ぶった作品など二度と書かない事だ。下手くそでもなんでもいいから、自分の腹に入っている真実だけを書く事だ。自分をごまかさない事だ。とにかく、全てはそれからだ。僕はその時、そう思った。僕はその時、そう思ったのだった。

 それから、僕はどうなったろう。あれから二年経ったが、今も大して状況は変わっていない。僕は相変わらず、フリーターのままで、今は牛丼チェーン店の夜勤をしている。僕は二十八になり、三十歳もすぐそこだ。…だが、僕の書くものにはこれまでとは違う変化が兆してきた。…だが、その変化を僕は大げさに言う事はやめよう。まだ、全ては始まったばかりなのだ。もう僕は自分をごまかしてはならない。上を見上げて、それっぽい、玄人臭い、あるいはどこかの誰かの作品と似たスタイルの、そんな作品を書く事はもう僕には許されていないのだ。まず、僕がしなくてはならない事は一人の登場人物を作る事だ。自分の生命と人生を託し、僕を引っ張って歩んでくれる、そのような主人公を作り上げる事だ。世界を自分の自意識の中に引きずり込んで歩き出す、あのラスコーリニコフのような主人公を。

 だが、僕はふいに思い出したりもする。杉本青果店のあの二人は今もあそこでああしているのだろうか、と。一人の人間、あるいは二人の人間が人生を生きるという事はどういう事だろうか。人は華やかな外面ばかり気にして、夢を見て生きている。かつては僕もそうであり、だからこそ、そうなれなかった自分に絶えざる不満を抱いてきた。だが、生きるという事はそういう事ではないーー。そういう事をあの二人は教えてくれた。しかし、彼らは何も語らなかったのだ。語らず、そこに存在し続けたからこそ、二人の存在は僕に衝撃を与えた。今の人々はあんまりにもしゃべりすぎる。僕も含めてーーー。

 さて、僕はもうここで沈黙しなくてはならない。僕は今、新人賞に出す原稿の推敲中なのだ。この作品が賞を取るかどうかは分からないが、ようやく、僕の主人公も少しずつ様になってきた。それは確かな足取りで地面を歩けるようになってきた。僕はそんな気がする。だから、あるいは今度こそーーー。
 
 いや、そんな風に考える事は僕はやめよう。今はまだ始まったばかりなのだ。そう、全ては今スタートを切った所だ。おそらく、人生とは地味で、そしてぬるぬるした泥の道を少しずつ歩いて行く事なのだ。それまでの僕はただ、自動車に乗ってさっさとゴールに行こうと焦っていただけだ。そんな風にうまくいっているように見える人間も、僕の周りにはたしかにいた。だが、僕はこれからは一歩ずつ歩いて行こう。少しずつ、少しずつ、だ。

 …そうやって、僕は本当の意味で『小説』を書くようになったのだった。そして、その結末がどうなるのか、それはまだ誰にも分かっていない。まだ、全て始まったばかりなのだ。僕は焦りを捨てて、一歩ずつ歩むようになった。空飛ぶ鷲を目指すのではなく、地を這う蛇になる事だ。草原を這う、なまめかしく美しい蛇になるのだ。そうやってほんのすこしずつ、ゴールににじり寄っていくのだ。そう、生きる事とはそういう事だ。

 そう、今もあのみすぼらしい青果店を守り続けている二人のように。


散文(批評随筆小説等) 僕が『小説』を書くきっかけになった、とても小さな出来事   (短編小説) Copyright yamadahifumi 2014-06-18 13:09:33
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