書く動力 3
Dr.Jaco

あ〜あ、結局は何の進展もなく(企業人は「進捗」とか「進展」とか大好き。私も、
15年もやってれば企業人の端くれ)、「愛と憎しみ」だってさ。

「3つの関係」について最初に書いたのは19年前で次の通り

Bread and Butter

  こうしてチビクロサンボのトラ三匹は
  互いの尻尾を追いかけてるうち
  バターとなった
  僕等の世代になると
  バターで修正墨の剥がれるエロ本は珍しい
  互いを愛してしまったトラ三角/トライアングルは
  1番目のオスが2番目をメスだと言うから
  3番目はオスだと言うので1番目はメスだ
  チビクロサンボはトラのバターで
  焼きましたとさのホットケーキが
  絵本を閉じた僕の口には甘かったんです
  口だけ甘くてお腹からっぽ
  私もうすぐ働くのね
  私の言葉は私の形を追いかけ
  バターになりたい合体したい
  このねっとりしたバターの愛情は
  味とにおいにもがき苦しむ飢餓状態
  何故愛させてもらえないの
  私もうすぐ働く肉塊ね
  バターで現実を捲ることはどうするの
  私の形 私の秘部を
  印刷がはげるまで爪でこする
  言葉の言い尽くしを期待してる
  私の言葉は私の形の尻/ケツを前に
  貴方!
  貴方も貴方の形を追ってるんでしょ
  欲情が何時の間にか一周して
  貴方の言葉が私の形を愛するのを
  とにかく待ってるわ

(1986年2月・・・「B」をモチーフにした独り連詩の抜粋)

次に書いたのは6年前で以下の通りである。

「遣り取り」が必須である。読者の動的な触手の働きがあって始めて、その環境が
成立する。環境だけである。それで成功というのでもない。互いの遣り取りが失敗
するかもしれないのは当然と言ってよい。だから、「いいよね」だけの批評は、失
敗回避のための有効手段だが、所詮意気地なしのヒステリックな小声の叫びであり、
作者と読者の交歓は永遠に実現されない。ただ私は失敗ばかりで上手くいったと実
感できたためしが無く、成功については別の方に語っていただきたい。
自分が5才位の頃、寝床のシーツに寄った皺を見て得た不思議な感触を未だに忘れ
ていない。四半世紀経って、私が書きたいのはこんなことである。それは怨念以外
のものではない。“ポエム”が感傷の捌け口だと言っても、自分の怨念の捌け口を
見つけられないのは情けない。
私は北園の詩によって私の怨念に一致するヴィジョンを一方的に受け取ってしまっ
たのだった。シーツの皺は、サバティーニのテニスする姿だったり、平成元年式の
日産ブルーバードを横から見た時の曲線だったり、真行寺君枝の顔だったり、その
他いろいろだったりするが、それら全てを包括する何かをはっきりと抱いてしまっ
たということである。
あなたの持っている何かと私の何かを遣り取りしたいということも怨念のもう一つ
の中身であり、そのために書くということもある。だが、自分の方の提出物が、提
出されきったものと認め難いために、怨念は肥大する一方なのだ。それはもう故人
である北園に一方的に与えられたまま交歓できずにいることからきているとも言え
る。
一人で考えるためにできているのではない言葉を使って、一人で考えることはでき
ない。当り前だ。だから提出するのであり、それに成功できないでいる私はヤケク
ソのヤンキーとして今日もシンナー代わりに手垢だらけの北園の記述を読むのであ
る。
(1996年11月頃)
(注:「触手」=後述する(したい?)「動力」に関するイメージ)
(注:「北園」=北園克衛)
(注:真行寺君枝=私のアイドルたる昔の美人女優)

マスカキ大好きお猿さんのように、バカの一つ覚えのように、私にとっては同じこ
とを、単語と配列を変えて書いただけである。


散文(批評随筆小説等) 書く動力 3 Copyright Dr.Jaco 2005-01-11 23:51:19
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