渓谷で
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そこに、あしを踏み入れた瞬間に
あたしにいちばん近かった森林の
若い樹の手のひらが震えて
腕までつたって、となりの子に伝えて
まるで警報を鳴らすように
ざわざわ、ざわざわ、緑がゆれはじめた。
曇天のすきまから零れる色素のうすい光は、
渓谷のなかじゃやわらかな綿のようになって
ちいさな、とてもちいさな微生物や埃を口にふくみ
川の流れにしたがっておりてゆく。
あたしはごろごろとした石をよけながら、
折れた木の枝が散らばった地面をぱきぱき鳴らし
歩みをすすめ、奥深くに入り込んでゆく。
ひぐらしの声や鳥の鳴く声を識別できても、
あたしはやっぱり絶対的なよそものだった。
それでもあたしのふうっと吐きだした息のぬくもりは、
森の凛とゆるぎない空気が包みこんで、
ちゃんとすべてさらっていってくれる。
ちゃんとすべて奪い、失くし尽くしてくれる。
その残酷さは、なによりも強いいのちの原理だとおもった。
ざわざわ、ざわざわ、緑がゆれてる。
土の下に流れている水流の音が
足の裏側から、だんだんしびれるようにつたわってきて
あたしは目をとじる。
それから、自分の肺の表面を縫うように存在している
血管や細胞がまるであたしの全身になったかのように
あたしは、いつしかその作用を
どこか遠くのほうから眺めてるみたいに見つめてた。
森のなかの、あたしのからだの、あたしの森を。
あたしの鼓動、森の鼓動。
すこし、溶け合ったかとおもえば、
それはあたし自身の呼吸の汎用性が
そう想わせたにすぎなかったって、きづく。
どこに?どこまでいけば、
そのゆらめき、その震える葉のリズム、
やわらかな木漏れ日の隙間をくすぐり
じゃれあうように
あたしも踊れるようになるの?

森のてっぺんで虫も鳥もまだあたしを見張ってる。
そこにはまだ遥か遠い領域。
あたしはまだ、絶対的なよそ者。
あたしも、森の一部になりたい。
そういうふうに、生きたい。






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自由詩 渓谷で Copyright eyeneshanzelysee 2013-08-15 00:22:44
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