200円のコノテーション
飯沼ふるい

瞬き、膨れ上がる眠気
カッフェーで向かい合う恋人の
片割れが言う
「モカ」
という音韻に倒されて
睫毛から鱗粉が発火する
それは、春に降る雪のようにこぼれる、というが
一秒の、線分の上に絡め取られて
橙の幼い鱗粉
チリチリ燃える

朝のまだきに生れ指ばら色の曙の女神が
朝食代わりに品書きのインクを卑猥に啜る
朝、たったそれだけの文字を誘拐した文庫本は
閉じたまま
未明の沖で漂っている

カラスが骨のように鳴いているのは
鱗粉の遺り香に惹きつけられているから、らしいが
枯れ枝のような声色は
哲学を勘違いした
死に欠けの震え

夕方、その一つの季節のような時間が
カッフェーの、椅子の陰間で怯えている
眠たい震え

ようやく目を開く
私の詩文が始まる為に
コーヒーと、ハムのサンドイッチを頼む
ほどなくして
ウエイターは
コーヒーと、ゆで卵を運んでくる
文字は予約されていないから
間違えたのはどちらでもない

「この街に晒された透明の密度を女の手首が掻き分ける
 柔らかい仕草の間にも
 この銀河は不断に柩を産み続けているのだから
 反省と土塊にたいして差異はないのだ」

ウエイターは気違いを見る目で
「だ」という濁音で淀んだ私を見る

はっきり言っておく
語彙に埋まっていこうとする
この詩文は
サボタージュとして許容されるような詩への
当てつけでしかないから
慰められているのは誰でもない
あなたでも、私でも。

コーヒーを啜るが、シガレットはあいにく切らしている
卵の殻を砕き
固い黄身でむせ返る

開くニュウスペイパー
語れば表れるのは私
語られるのを待つ全ての語彙
古い批評で測られる身体

痣を撫でる手のひらのように不吉な
光の淘汰が頬骨を削る、ガサゴソと油脂臭い紙を捲り
これからの天気を眺める、と、既にもう
明日の襞が雲の影からうねり始める
夕立、

その通りだ、
語るべくして振る雨
夕立なのだから、既にもう
朝ではない
何者かに拿捕された、遠距離の弾痕が
報復に出る時間
パナマ帽が排水溝でくるくる回っているのも
突飛に躍り出た、夕方の仕業

コーヒーに脈打つ水紋は
郷里に暮らす誰かの不幸を報せている
これもまた、震え
表面から渇き
内部から濡れる
まだらに弛緩した涙腺が
裏切りを作用して、
コーヒーの色を黒くする、
景色もろとも排水溝へ垂らす、
過去が水平に流れていく、
さよなら、さよなら

あらゆるものがある、雨
あらゆるもののために、雨
濡れそぼった
語彙が読めない
品書きも、ニュウスペイパーも
それらの文字が渇いた時が明日だ
手垢もすっかり消えて
真新しい文字が浮かんでいることだろう

その通りだ、
我々は時間の懐に忍び込み
自壊するだけで
比喩のように繰り返す瞬き
裁断された映写機の映す夢
発火する幼い鱗粉、その閃光の突端で
胡桃のように落ちていく午睡
弓なりに撓る一秒を深くする全ての胡乱
あなたでも、私でも
ない、
そのような感覚の内に
母胎を見ている

だからいいか
恋人たちよ
お前らの姿はもうないが
よく聞くがいい
残り数行の詩文として終わろうとする私の
影こそ、君らの醜い歯並びでありまた
繋がれた指先を交感しあう熱でもあるのだ
そしてこの情けない終わりを
笑え!

「お客さま、料金が200円足りません」
「あ、ごめんなさい」


自由詩 200円のコノテーション Copyright 飯沼ふるい 2013-06-23 15:01:02
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