霧の町の断片
飯沼ふるい



正確な円い輪郭を、灰色に淀んだ空にくっきりと浮き上がらせる
午後の弛んだ日射しも少しばかり傾き始める
根深い霧がこの港町から抜けることはなく
ここでの昼とはほんの少し明るい夜のことを言う



赤茶のレンガで積まれた製氷場の倉庫の向こうで
海猫が気ぜわしく鳴いている
波止場に打ちつけられる波飛沫は
異邦人たちが流す汗と同じ匂いがする

製鉄所のバースを発とうとするタンカーが汽笛を鳴らす
重くて暗い音がいつまでも響く
誰も聴く人などいないのかもしれない
バラスト水を吐き終えても
いつまでもタンカーは進まない



港から少し離れた公園にも
潮風と魚の腐ったような匂いは
鼻を突く濃さを保ったまま運ばれてくる
伸びるに任せっきりの生け垣の向こうでは
年端もいかない男女が、肌に染みつくような腐臭と霧とに混じって
身体を重ね合わせている

夜にはまだ遠いはずの時間
少年の真剣な眼差しが
この町の唯一の灯火のように
ちろちろと燃えている

喉仏もまだ柔らかい少年は上擦った声で呻く
身体の内も外も無くなって
静かなこの町が彼の中に収斂されていく

足元に落ちていた青魚の鱗と
濁った精液が渇いていく様とを眺める彼の目からは
既に灯りが消えていて
少女は口を結んで涙を流し続ける

星のない夜であるはずの時間
二人は灯りのない小道を歩く



この町唯一の駅の待合室には蜘蛛が住み着き、
単線路のホームに旅客列車も貨物列車も訪ねてくる気配は無い
疲弊した無宿の人がやってきて
埃の絡んだ蜘蛛の巣を揺らすまで
ここは無人のままにある

駅前の交差点の信号機はいつも点滅している
すれ違う人々は造花の花束を抱え
急ぎ足でそれぞれの行くべき場所を探す

革靴で歩く足音がくすんだコンクリートに反響して
霧を包んだレジ袋が消火栓にぶつかる

そこかしこにため息が隠されているこの界隈で
そこはかとなく漂うのは
精液の匂いか、港の匂いか



みんなが寝静まる頃
思い出したかのようにタンカーの汽笛が鳴る
霧の声のように響く、音にもならないようなその震えを感じながら
湿ったベッドの中で少年は
あの時の自分の片割れのように涙を流す



霧が深みを増して夜を蹂躙する




自由詩 霧の町の断片 Copyright 飯沼ふるい 2013-07-15 22:37:23
notebook Home 戻る  過去 未来