言いたかったことはぜんぶ、
飯沼ふるい

駆けぬけていった少年は
潮の灼けた匂いを残した

かなしい匂いだ
陽炎にゆられる
焦れったい、夢精の残り香

海を見に行くきっかけなら
それで十分だった
そこで心中したり
煙草をくゆらしたり
そのくらいの自由が
欲しいと思えた

4tトラックが待っている
信号を右に曲がれば
狭い路地、長い下り坂
床屋を示す三色の渦巻きを過ぎれば
潮風の匂いは濃くなって
海が見えてくる
良く晴れている
沖合で産まれたての
入道雲はくっきりと白い
足元には、猫の死骸

素知らぬまま海へと誘った彼を
入道雲に見ようとしたけど
雲は雲で変わりようない
彼に言いそびれたことがあったのだけど
言葉は
猫が腐っていく時間の中に
溶けていってしまう

てくてくと坂を下るに連れて
次第に大きくなっていく海が
探し物はなんですかと訊いてくる
たしかに見つけにくい物なのですが
入道雲は、じっとしている


海は
途方もなく穏やかで
外国から来たらしい
プラスチックの漂流物でさえ
憎たらしくも風情を湛えていた

僕も負けじと
風景の一部になろうとして
煙草をくゆらせてみるが
渇ききった喉に
煙草の煙がへばりついて不味い

裸足になって砂を踏みしめる
あたたかくて柔らかい
 あぁ、これは、
言えなかった言葉の感じに
そっくりだ
そう思うと
風(という名詞
匂い(という名詞
次から次へ
淀みなく消えていく
新しい初夏の感じが
皮膚を透かして
胃の腑を不快にあたためる

猫の腐臭も、彼の汗ばんだTシャツも
それらを感じた僕も
過去形に埋もれた、砂

碧い海に呑まれて
それらはいつか新世紀の
新しい呼吸に馴染んでいく、だろうか
青白い空に
置き去りの自分よ

  ここから帰れば
  きっと僕は
  熱にうなされながら
  自慰に耽る

  戻らないため息を悔やみながら
  キスを交わして
  失われた果肉を
  膣に求めて、なんて
  そんな嘘で
  息を荒くして
  何度も繰り返し
  身体中に
  壊疽を拡げる


言いたかった
何も言えなかった


自由詩 言いたかったことはぜんぶ、 Copyright 飯沼ふるい 2013-05-15 20:11:27
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