紅月

影色のつよい風が吹き
王国を覆う黄砂の霧のなかで
蠍のかたちをした遺伝子が蠢いているのがみえる
おぼつかない足元には
名前が奪われたばかりの獣の
黒く濁った骨が転がり
天にはたかく
いくつもの石柱が幽かに聳えている
汚れた布を頭部に巻きつけ
表情を隠した架空の旅人たちが
砂漠のうえ
網のように張りめぐらされた
目に見えることのない巡拝路を進み
やがて地平に消えてゆく数多の背のふるえを
わたしは克明に記憶しつづける


ときに
旅人へ声をかけることがあった
彼らは顔を布に埋めたまま
快活に応じる(影色の風が荒れる)
わたしたちはしばし言葉を交わし
袞々と湧きだした対話の糸は
清らかな水の流れとなり砂を濡らす
やがて掌は施しで充たされ
それをオアシスと呼ぶことにしたわたしたちは
その対話を最期にここで別れ
彼らのあざやかな背はすぐに
乾いた霧のなかに見えなくなる


獣骨は流砂にしずみ
永い不通のさなかで
やがて石は風の深淵に身を投げる
幽かな王国の気配だけが
この地平のなかでただひとつ不変だった
影色のつよい風が吹き
王国を覆う黄砂の霧のなかで
蠍のかたちをした遺伝子が座標に列ぶ
行き違うわけにはいかない
いつか訪れるかもしれないのだから
過去の帰りを待つわたしはここに立ち尽くし
現在は
対話の数だけ殖やしてしまった
多くの湖のみが遺言としてここに残る
王国は王国のかたちをしていなくてもいい
数多もの水面がいっせいに凪ぎ
そこにひとつの顔が射しこみそれが
わたしの知るゆいいつの顔だった


自由詩 Copyright 紅月 2012-10-04 06:43:50
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