萩尾望都私論その3 ダーナの子ら
佐々宝砂

というタイトルからダーナ・ドンブンブンを思い出す人はいても、『アトムの子ら』を連想してくれる人はほとんどいないだろうなあ、でもってこの「アトム」が鉄腕アトムではなく原子という意味のアトムで、『アトムの子ら』っていうのはシラスという人が書いた大昔のSFなのよ、なんてことまでわかってくれる人いるかなあ、もしもいたら、私はあなたが大好きです。

ということはさておき、萩尾望都なのである。

「フロルの選択」以前、『11人いる!』以前の萩尾望都作品(SF限定、しかもブラッドベリを除いちゃう←勝手だなあ)の話をしたい。ネットや本で調べたところ、萩尾望都の一番ふるいSF作品は、どうやら『ポーチで少女が子犬と』(1971.1)という短編であるらしい。SFで、傑作で、つらくて、ものすんごく怖いらしい。かつ重要な作品らしい。「らしい」ばかりが続くのは、私がこの作品を読んでいないからである。すげーマンガなんだよという話はたくさん聞くのだが、現物を見ていない。無論読みたい。怖い凄い怖いと聞かされるばかりでは、それこそ小松左京の『牛の首』である(ときに若人のみなさん、意味不明の部分があっても、佐々宝砂に私信で質問するなんてハンパな真似をしてはいけませんよ。横着するなら読み飛ばせばよろしい。調べるならばネットで検索すりゃ何かがひっかかるはず)。

読んでないマンガの話をしても仕方ないので、次にうつる。『ポーチで少女が子犬と』の次のSF作品は、『精霊狩り』三部作だ。連作最初の『精霊狩り』(1971.7)は、かなり脳天気であっぱらぱーで惚れっぽい精霊(=年をとらない、死なない、超能力を持つ異人種)ダーナ・ドンブンブンの活躍を描く、かなり脳天気であっぱらぱーなSFコメディである。絵柄は古いし話もどことなく古いが、この1作目だけを読むなら間違いなく単純に楽しめる。狩りの対象として迫害されても、裁判で有罪判決を受けても、「やだよ!いくらなんでも七十年上の女性なんて」とオトコに拒まれても、ダーナは明るい。コメディなので、怒り狂っても明るい。しかし2作目『ドアの中のわたしのむすこ』(1972.2)になると、ややトーンが変わってくる。精霊の妊娠・出産は例がないというのに、ダーナの妊娠が発覚する。ダーナは七回も結婚していて、父親は誰やらわからない。しかし精霊の生殖自体が皆無だったわけではなく、人間の女性を妊娠させた男性の精霊イカルスとその娘チャシーが登場する。チャシーの母親は既に亡い。「こどもに父親は必要だよ」とイカルスはダーナに求婚する。イエス、と答えようと決意したダーナは息子ルトルを生む。というより息子は、自分で勝手にダーナの子宮から外にテレポートしてしまう。

ちょっと説明が煩雑だったかもしれない。でも説明したかったのだ。

木の股から生まれたの空から降りてきたのと言われていた精霊。その精霊が自分たちだけで家族らしい家族をつくりあげたのは、ダーナたちが初めてなのである。彼等の家族のかたちを覚えておいてほしい。

脳天気な母親/行方不明または既に亡い父親/異様に成長の遅い息子
身体的精神的に弱い、既に亡い母親/わりと誠実な父親/異様に成長の速い娘

息子ルトルからみたら、わりと誠実な父親=イカルスは養父。
娘チャシーからみたら、脳天気な母親=ダーナは継母。

ダーナは別に悪い母親ではない。ダーナはイグアナの娘の母親ではない。シリーズ3作目『みんなでお茶を』(1974.4)のラスト近くで、「今がよければすべてよし 明日のことまで心配しなくていいの」とチャシーにキスをするダーナの姿は、優しい母親そのものだ。でもね、ダーナ。たった2歳のチャシーは考える。

「でも ママ あたしは 明日はもっと大きくなるでしょ」
「ほんとうに みんなで 幸福なお茶をのむには どうしたらいいの?」
「あたしたちはどこから来たの? どこへ行くの?」

ダーナはおそらく、いつまでも若く、いつまでも脳天気だ。しかしチャシーとルトルは違う。チャシーとルトルは成長し、考え深くなり、そして。

「そして」のあとを萩尾望都は描かなかった。少なくとも、『精霊狩り』というストーリーの中では。

まだ続く。

予定としては
4 十年目のスペースストリート
5 生むヨダカ、生まないクロバ
6 ラグトーリン、おまえはいったい何様だ!
7 一角獣たち
8 キラの煉獄
9 つまんねえゲシュタルト
10 残酷な神は男か女か?
11 火星の海へ


散文(批評随筆小説等) 萩尾望都私論その3 ダーナの子ら Copyright 佐々宝砂 2004-12-02 18:06:22
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