嘆きつつも建設的に。ね。
佐々宝砂

(2003年3月に個人的な場所に書いた文章であり、現在のフォーラムの状況について述べたものではない。つまり私はいつもこんなことを考えている。または、少なくとも昨年春からこんなことを考えていた)

なんでこんなにネットっておもしろくねーんだろーと思うことがある。ネット詩が面白くないんじゃなくて、ネットが面白くないのだ。茶々を入れるやつが面白くないのだ。別に腹は立たなくなった。ただつまんねーなーと思うだけだ。ほんとにつまんない。もっと面白い刺激的なことを言ってくれたらいいのに。私が困った連中に対し寛容でなくなったのがいけないのだろうか。それともむしろ寛容になりすぎてほったらかしにしてるのがいけないのだろうか。面白い茶々ならいいのに。楽しませてくれるなら、茶々だって嬉しいのに。

嘆いたってしかたないことはわかっている。建設的にいくべきた。考えてみたら、私がネットに期待したほどの面白さを感じないのは最近にはじまったことではない。最初からそうだったじゃないか。詩ではなく、日常会話ではなく、刺激的で自制的で偏屈で知的でマニアックで冷徹でやさしい私好みの言説なんてそんなにたくさんあるわけがない。そらわかってる。わかってるから、嘆かない。自分がどこをめざしたらいいかわからなくなるときはあるけれど、自分で考える、考えればなんとかなる。

でもときどき、すごく、退屈だ。さみしいんじゃない。退屈だ。強がりじゃない。つまんないのだ。つまんない。私はもう少し遊びたいのに、日が暮れて、みんなおうちに帰ってしまう。ううん。そうじゃないのかも。私は心臓が悪くて、ひとり家の中で本を読んでいて、外で遊んでる子どもたちを見てる。ごくたまに外に出てってその子たちと遊ぶ。でも退屈なのだ。本の世界の絢爛は、現実の子どもの世界になんてあるわけがないから。で、私はまた本に戻る。でも今度は外の遊びが恋しくなってくる。でももう外には誰もいなくて、夕暮れで……それでもなおかつ私はさみしいんじゃないのだ。退屈なのだ。と意地を張る。

いつまでも星座を信じてはいられない。でもそれでも星座しかないんだと気づくとき、私はどうするべきですか?

ああ。でもそれでも建設的にいくしかないんでしょう(笑。時間をかけて。できることから。地味にこつこつと。あああああ。そいで詩を書き批評を書くしかないんでしょう? やっぱりこつこつと。建設的にね、建設的に。無意味な批判はしない。怒らない。嘆かない。ううん、考えてみたら、私は、もう、ある種のひとびと、つまり、へんに被害妄想を持つ人や荒らしをする人に対して怒れない人間になってしまった。怒れるひとはいい、はしゃげるひとはいい、私は感情の一部をなくした。

しかしゆえに私はあかるく微笑むのである。この退屈な無彩色の世界に、薔薇色の愛は滴りそうにないわねえ、と。それでも私は絶望しないんである、アホとしか言いようがねえやつだと思う。


散文(批評随筆小説等) 嘆きつつも建設的に。ね。 Copyright 佐々宝砂 2004-11-22 22:17:10
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