黄金探偵
佐々宝砂

それは菜種梅雨そぼふる夜のこと。
くすんだ身体を暖かなお湯にひたしていると、
窓から突然に侵入してきたきみが、
左手薬指から一人称代名詞をもぎとった。
ぼんやりした灰色のタイルに転がり落ち、
一人称代名詞はかたい音を立てた。

きみは一瞬呆然としたようだったけれど、
すぐ一人称代名詞を拾って窓から逃亡した。


午後。屋外では太陽が金粉をまき散らす。
でも探偵の応接室は薄暗い。
探偵はやたらに煙草を吸う。
わずかにアンモニアの臭う灰皿。
神経質に煙草をもみ消して、
探偵はこれみよがしにファイルを開いたり閉じたりする。

ファイルの中には十数人のきみ。
黄金仮面の扮装なりをしたきみ。
ピエロの化粧をして豊かに長い金髪をなびかせるきみ。
金色のシルクハットに蝶ネクタイのきみ。
KKKみたいな白頭巾のおく金色の眼を光らせるきみ。
ゴージャスな金糸のドレスをまとって婉然と微笑むきみ。
髑髏の仮面をつけて金色のマントをはおったきみ。

――性別さえも不明です。
――共通項は金色という色だけなのです。

探偵が指差す写真には、
金色のクエッション・マークが灰色のジャケットを着て立っている。


間抜けなくせにこの探偵は変装が好きだ。

黄金仮面の扮装なりをした探偵。
ピエロの化粧をして豊かに長い金髪をなびかせる探偵。
金色のシルクハットに蝶ネクタイの探偵。
KKKみたいな白頭巾のおく金色の眼を光らせる探偵。
ゴージャスな金糸のドレスをまとって婉然と微笑む探偵。
髑髏の仮面をつけて金色のマントをはおった探偵。

盗人を追いかけるきみの行く手に、
金色のクエッション・マークが灰色のジャケットを着て立っている。


きみは次第に混乱してゆく。

盗まれたものは一人称代名詞なのだが、
登場人物の誰ひとりそれを活用してはいないのだ。

盗んだのはきみで、
盗まれて探偵に依頼したのはきみで、
依頼人に依頼されたのはきみで、

きみは、誰だ?


菜種梅雨はもう過ぎてしまったらしい。
かといって五月の明るい陽射しも差しはしない。
ぬるいお湯にひたった日も遠くなったらしい。
しかし戸外はやはり黄金の輝きに満ちているのだ。

重みさえありそうにねっとりと光り輝く、
その黄金は、
すべてを浸食してゆく。

黄金のひまわり、黄金のりんご、黄金の太陽、黄金の砂、黄金の髪、
黄金の胃カメラ、黄金のゴキブリ、黄金のシャツ、黄金のティッシュ・ペーパー、
黄金の白紙、黄金の黒檀、黄金の青魚、黄金の赤トンボ、黄金の銀雪、
黄金のアルファ、黄金のオメガ、
黄金の黄金の黄金の!


なあんだ。そうなんだ。
きみは唐突に理解する。
黄金探偵は軽やかにとんぼがえりをうつ、
すると世界はいともたやすく反転し、
きみはきみであるままきみではなくなり、

世界は蒼白の黄金。



(連作「中有の物語」より)


自由詩 黄金探偵 Copyright 佐々宝砂 2004-11-16 05:21:55
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