ニッケルオデオン
錯春


 随分と前に上演は終わっていた
 ビラビラと焼ききれたフィルムが背後で回って
 煙を上げる端くれをクロールするように回転させながら
 真っ白い幕には無数の砂粒が踊る

(お楽しみになれましたか)

 映画のセリフか
 はたまたアナウンスか
 鳴るのを聞く
 
 私はコーラを持っていなかった
 私はルートビアを持っていなかった
 ポップコーンは元から苦手で
 ポン菓子はとっくの昔に飼っているハムスターにあげた

(お楽しみになれましたか)

 性懲りもなく鳴った
 私の右手には
 育った土地の海に似た
 灰色がかった翡翠色の
 まばらに白と黒の斑点が浮いた
 十年前に死んだ祖父の汗のニオイがする
 温かな卵があった

 カラカラビラビラと映写機はいっそう激しくバタフライを始め
 私の周りには煙とも霧ともつかないものが漂い始める
 手の平で卵はトクトクと頷き
 綿毛のような魂を預けている

 幕にぶち当たった瞬間
 何の音もしなかった
 砂嵐の中
 翡翠色の破片がやけにゆっくりと飛散し
 一瞬だけ海の気配が漂った
 橙色をした艶やかな魂が
 粘っこい戯言を撒き散らして
 ポタポタ滴った

(お楽しみになれましたか)

 煙とも霧とも、魂だったのかもしれない
 靄が立ち込める館内を後にする
 閉じられた扉越しに歓声が沸きあがった

(これからがお楽しみです)


 上演が始まろうとしている




自由詩 ニッケルオデオン Copyright 錯春 2010-07-18 12:54:33
notebook Home 戻る  過去 未来