私以外の誰かに
錯春



君の人差し指と親指には一筋の花の茎
梔の香りが一斉に私の鼻をついた
茶色く錆びた真珠色
梔では月並みだからグロリオサにしたんだよ、と
差し出された指先と
指先からひとつづきになった花の茎を見ている
そんなものは受け取れないっていつ言おう
君を愛している
私ではない誰かが
私よりも適切に
私よりも君を喜ばせる方法で
私ではない誰かが君を愛しているのが
私には匂いでわかる

寒空の下を並んで歩くと
風が耳の中から脊髄へと吹き荒んだ
私達はまるで処刑されているようだね、と
そんなことは言えるわけがないけど
すれ違う老人の唇から
かつてあったふくよかさは薄れ
年輪を切りつけた裂け目みたいだった
早く帰らなければ
君は一刻も早く帰らなければ
行き場をなくしたグロリオサはすっかり青ざめて
君の指先にぐったりと身体を預けていた
新鮮なうちに花瓶にさせば
きっと生き返ることだろう
そしていつしか誰かの手に渡る
私ではなく
君を愛する誰かの手に渡る

夕暮れどきの軒先から
沸かした味噌の匂いがする
堤防を歩く
テトラポッドの曲線
苔だろうか貝だろうか
影がすべてを真っ黒くするから
君が振り向いて聞く
フジツボかなぁ?イソギンチャクかなぁ?
誰も正解を知らない
だって海は黒いんだから
そこに何があるかなんて好きに決めていいんだから
答えないで笑ってみる
真っ黒い君の後頭部
それともこちらを向いているのか
波に乗って反芻される
フジツボかなぁ?イソギンチャクかなぁ?

背を向ける君の指先で
手遅れのグロリオサが溜息をついた
また今度、と君が言い
そのうちね、と私が返す
これが最後だなんて言わないでね、と
お互いの顔に書いてある
また会えるよ
すぐ会えるよ
わかりきった言葉は
言わずとも構いはしない
それが一番悲しいのに
私も君も悲しがるのが好きだ

明日にでも君は愛され
私以外の誰かに愛され
すべての恋人達がそうであるように
愛し合う者達だけに許された決闘が始まり
やがて断りもなく傷ついて死に絶える
その傷は鮮やかなことだろう
血潮は陽射しを吸ってポカポカと温かいだろう
私は君以外の誰かの横で
君以外の誰かのことを考える

君を愛さなくて良かった
君をこの手で殺さずにすんで良かった
君をあのとき
抱きしめてやれば良かった



自由詩 私以外の誰かに Copyright 錯春 2010-07-10 12:29:03
notebook Home 戻る  過去 未来