昨日は孤独な世界⑥
錯春

延長線上にある行為の変質を目の当たりにしてしまった視点について。



電話されやすい人間と、メールされやすい人間は、確かにいる。
それは頼りにされているとは限らない。
はけ口にされているのだ、端的に言うと。
リマは携帯を耳から少し話して、頃合を見計らって、「うん」「マジかー」「ちょ、へーきなん?」と適当な相槌を打つ。

(何が失恋だよ。どうして終わってしまった物語を垂れ流す?誰かに何かを話すことは、その物語も何本も伸びていくことなのに。この娘達ってそこらへん理解してるのかね。それとも、知っておきながら、周囲を楽しませる為に一大エンタティメントにするべくふれまわってるの?)

毒づきながら、ブスブスと何かが焦げ付くのを感じる。
傷つくのは誰にでも等しく与えられた権利だから、それを使ってストレス発散しようというなら、好きなだけすればいい。
でも、アンタタチがいつまでたっても同じような悩みで、電波に悲劇を乗せているのは、ひとえに真剣ではないからだ。
今回の電話だって、友人が本気で悲しんでいたとしたら、リマは電話なんかやめて、居酒屋へでも誘っただろう。

だが、その悲しみも、ロクシタンのボディクリームを塗ってうっとりすれば、すぐに跳ね除けられたりするんでしょう?

リマの住んでいるアパートは築40年で、傾いた階段の下には、いつも猫餌が詰まった歌舞伎揚げの缶が放置されていた。
雨が降っても降らなくても、猫餌はぶよぶよとふやけていて、ゲロにそっくりだった。
リマはたまに、その猫餌をこっそり捨てる。
実際に猫餌を補充している誰かと遭遇したことは無かったし、食べている野良猫の姿を見たこともなかったので、捨ててもかまわないだろうと判断したからだ。
彼女は環境愛護の精神でその行為をするのではない。
かといって、チープな動物愛護の精神を非難するためにその行為をするのでもない。

(嫌なんだよね。誰かの親切心が、こうやってぶちゃぶちゃに汚れて腐っていくのを見るのはさ)

彼女は純真と言える。
誰かの傲慢な思いやりは、時がたてば往々にして単なる腐敗したものへと変わりうる可能性を持つこと。(自分が気持ちいいから、垂れ流すのだ。それは排泄と大差ない。だからこうやって虫が湧く。)

リマはそんなことは考えたくも知りたくも無かった。
まだ、何か確かなもの(それは愛じゃなくても構わないから)が、あるに違いないと、信じていたから。

リマはコンビにへと足を向ける。
コンドームが切れたから、買いに行くのだ。
彼女には彼氏がいない。
だが、特定のセックスの相手はいた。
自分の身は自分で守る、の精神で、リマは背筋を伸ばしてアスファルトを踏みつける。

(私が悪いなんて、言わせない。絶対)

携帯の向こうでは、女友達が「私が世界で一番醜ければよかったのに」と昼ドラ真っ青の台詞を吐きながら、鼻をぶひぶひ鳴らしている。

(そんなんだから、いつも自分が一番かわいそうって、勘違いすんだっつーの)

会計を済ませ、部屋の前まで戻ると、男の子が一人、ドアの前にしゃがんでいる。
彼のPコートからは、炭火焼肉とキムチのにおいがする。
「誰から電話きてんの」
「アンタがこないだ別れた子」
「どれのことよ」
「しんない」
リマは彼を伴って部屋に入る。
携帯はいつのまにか切れていた。

(私はいつコイツと別れるんだろう。いや、そもそも付き合ってないから別れようがないのか)

リマはタバコを吸う男の子のうなじを眺めながら、深呼吸する。

(友情とセックスと軽薄さ。コイツは私が人間に求めるもの全部持ってる稀有な奴だけど、いつ憎み出すんだろう。それとも、憎む前には愛さなくちゃいけないのかな。でも、アタシにはどっちがどっちなんだか、よくわかんないや)

「あ、猫」
「いたの?」
「今、声がした」
「そう」
「ここ、猫多いのかよ」
「しんない」

彼女の頭の中で、行き場をなくした誰かの親切心が、どこかへ着陸する。
猫餌を掃除すること。
女友達の彼氏(元)とセックスをしていること。
変質を恐れるのなら、眼をそらすことも必要だろう。
だが、彼女は自らそれを見定めようとしている。
無自覚にも。
それは時として望まない物語を、彼女に与える。

数少ないいくつかの、純度の高い結晶のような、悲劇にカウントされるのだ。



天国のようなお花畑が好き。シロツメクサの冠。たんぽぽの首飾り。耳の上にはレンゲを乗せて髪飾り。

(全部、ちーちゃなアブラムシがたかってるに決まってんだけどね)

ヨウイチはお花畑が好きだった。「男のくせに」と罵られるのが怖くて、一夜限りのセックスの相手にさえも、その祈りを聞かせたことはなかった。
今、彼は雨の中、500円のビニール傘を片手に、片田舎の道路を歩いている。
彼は終わらせようとしていた。
ある一つの、彼を少年たらしめる要因を、自らの手で絞め殺そうとしているのだ。

(しろつめくーさーの、はながさいーたら、さぁ、いこーぉ、オスカール。アンドレー!!……違うか)

鼻歌を歌いながら、一人道を歩く。
都会では鼻歌を歌えない。
他人との距離が近すぎる。
ヨウイチは、人口は飽和した都会とは異なった空気に、知らず知らずのうちにハイになっていた。
それでなくても、今の彼はアップダウンが激しい。
すべて貢献したつもりだったのに、そう思っていたのは自分だけだと知ったからだ。

(好きと言われたから好きっていって、たずねられたことにはすべて望むとおりに返せたと思ったのに、いきなり切れるんだもんな)

「うんざりなのよもうやめてそうやってあなたがこたえるたんびにアタシはすりきれてせかいにさらされるのよこたえなくていいのにほんとうにばかなんだから」
少しアルコールが入った彼女は、涙も流さず一息でそう言った。

少年期の終り。
(うかがいしる能力が長けていることは、大人の証ではない)

いつしかヨウイチは、周囲を樹木で囲まれた土地に出る。
目の前には沢山の腕輪のようなモノが詰まれて、山になっている。
(それらの色は様々で、ざっと見ただけでも24色の色鉛筆はくだらないくらいにある)
ヨウイチはそれらの一つ、水色のモノを手に取る。
雨で湿ったそれを、山の頂上へと投げる。
ぽそ、と微かな音がする。
かつて、ここは天国みたいなお花畑だった。レンゲとたんぽぽとシロツメクサと生命の塊みたいなアブラムシが点在する、ありふれたお花畑。
今は、屠殺された家畜(主に牛)の、鼻輪を廃棄する場所となっている。

(べつに夢見てたわけじゃないよ。ほんとだよ)

彼は自分で自分に言い訳をしながら、その大きな山(または塚)を眺める。
灰色の空とカラフルな鼻輪の山のコントラストが、廃墟の遊園地のようにも思えた。
(人は稀に、自分自身で己の幻想や思い出、観念を廃棄するべく、挑もうとする。それは運命や思い出、トラウマなどがあげられる。大概の人は上手にそれらの廃棄を済ます。廃棄の必要があるかは別として)

ヨウイチは、お花畑のお墓を見に来たのだ。
お花畑と一緒に、自分をリセットするために。
そこには、お誂えにも、既に立派な塚が立っていただけのこと。
彼は自分の期待が、期待以上に具現化されていたことに多少面食らう。

(でも、そもそも自分以外の何かの終末を見たって、それで何が終わるわけでもないんだよねー。ドラマや映画を見て、感情移入して泣いたりするけど、悲しいのは僕じゃなくて、ヒロインなわけで。うん。やっぱり、感情を共有しようなんて、驕り高ぶりってヤツ?)

ふと。
足元を見やる。
茶色のラインの入ったスニーカーに、ぐっしょりと雨がしみている。
そして、小さなスミレ。
ヨウイチは頷く。
傘に雨が当たる音が、響く。

(終末が、始まりの交換条件ではない)

ヨウイチはかつてお花畑であった場所を去る。
(彼には時間がない。センチメントな気分は小さく丸めてポケットに押し込み、再び性器をこすり合わせる相手を探さねばならないから)
何らかの結末が彼に訪れたのか否か。
新たな自分などという、滑稽なものが、観念が、今後彼に降りかかるのか否か。

勘違いをしている。
それ自体が、勘違い。



(終末が始まりの、交換条件ではない)




散文(批評随筆小説等) 昨日は孤独な世界⑥ Copyright 錯春 2008-11-01 12:47:19
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