マジャール・ダー
たりぽん(大理 奔)

 神が住むという山の麓は、瓦礫だらけの扇状地で、そ
こに掘られた深い母井戸を彼は「マジャール・ダー」と
呼んだ。この場所から井戸の水面を見ることはできない。
カレーズと呼ばれる地下水路はここを水源とする。暗き
深き闇の奥で湧き出すものがあるのだ。

地下水面が下がると母井戸はもっと高い場所に、もっと
深く掘られるのだと、白い歯をぎらつかせる。彼は井戸
掘り職人だ。32歳になるがまだ見習いなのだという。
 井戸の水はそこから30キロも離れた集落のはずれに
流れ出すのだという。何百ものカレーズが町を潤すのだ
という。麓に目をやると、巨大な砂漠の真ん中に染みの
ようにポプラの緑がこびりついている。旅人もラクダも、
その場所でだけ胃が裂けるほど水を飲むことができる。
灼熱の砂漠に焼かれながら古の対象の幻を探してみるが
陽炎以外に立ちのぼるものは見えない。


 翌朝、砂漠は真冬に白く凍っていた。宿の窓から遠き
山の方角を見ると、いくつも白い煙が上がっている。い
や煙に見えたのはカレーズの縦井戸から立ちのぼる水蒸
気だった。地下水の方が気温より暖かいために霧が生ま
れているのだ

 !

 叫んでいた。それは砂漠の町を守る英雄達の名前だっ
た。遠く山の斜面で幾十の、幾百の白き英雄が集落を見
下ろしている。幾千の、幾万の英雄がゆらめく。

 朝日が差し込み、殺伐とした山の斜面がオレンジ色に
照らされると、またいつもの砂漠の風景が浮かび上がる。
ほんとうの慈しみというものは、地下水路を抜けて流れ
出す水のように、陽の射さない深く暗い闇の奥から流れ
出すものなのかも知れない。そして、夜が蒸発するよう
なその姿を見ることはもうないのだろうかと、僕は目を
こらして空の向こうを見つめ続けていた。





自由詩 マジャール・ダー Copyright たりぽん(大理 奔) 2007-09-12 21:13:50
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