優縁台
チグトセ

あなたは就活のためにと家庭教師のアルバイトを僕に勧め、僕はうなずいた。

謝らなくちゃいけないことがある
本当のところ
あなたと出会った時点ですでに
僕はこの現実世界にいなかった
半分もいなかった
その意味で
僕はあなたを二年半もだましていたんだ
ごめんね
僕は口下手で
そういう真実の片鱗を少しずつ
ぽつりぽつりとあなたに伝えた
「伝えた」つもりでいたけれど
よく考えてみればそんなので伝わるはずない
伝わるはずなかった

でもあなたは
普通の若者の中に紛れ込んでいるようでいて
ときに
聖人のような直感と洞察力を発揮するから
もしかしたら僕のことを悟っていたのかもしれない
だからかれこれ
僕たちは付き合わずにそのまま
ここまで来た
こんなところまで来た
ということなのかもしれない。

でもあなたは
この現実をゲーム感覚で楽しめるほど気丈じゃないから
実際にはどのくらい傷ついていたのか
途方もなくて僕は知らない
「たくさん泣いた、」と僕に云った
それしか僕は知らない
あなたとあなたの周りとあなたの世界とあなたの世界の隣を猥雑に掻き回した罪の罪悪感
に怯えながらあなたを見ると
あなたは幼く笑うので
僕は震える。

ねえ僕は
初めからこの現実世界に半分以上いなかったんだ
あなたが就活のためにと家庭教師のアルバイトを僕に勧めたので
僕はうなずいた。
あなたが
「友達に彼氏を自慢できない」
とどうでもよさそうな、心底哀しそうな顔をするので
僕は大学生になろうと思った
あなたが喜ぶと嬉しいので
受験勉強も頑張れた
そして入った大学で
幾人かの友人と知り合い
僕は世の最果てから現実へ
少しはみ出せた。
動力炉やパイプやバイパスがごちゃごちゃしている清廉とした場所から
土煙の重低音のする場所へ
少しはみ出せた
でも僕は結局
そちら側に行くことはできなかった
「どうしてそんなところにとどまりたがるのか」
あなたは僕を見て悲しんでいた

ねえもし
僕の書いた本が売れて
億万長者になったら
馬鹿みたいにはしゃいで二人でイタリアに行こう
そして本場のコックが作ったパスタを
腹一杯食べる
ごちそうさまの代わりに僕はコックにケチを付け
長い帽子で殴られて
ブーツの底で鼻血を垂れる
それから馬鹿みたいにでかいクルーザーを借りて
馬鹿みたいにはしゃいで
地中海の上を滑って
はしゃいで
滑って
はしゃぎすぎて咳き込んで
途中でサメが襲ってきて
あなたを守るために
僕は代わりに食われて死ぬ
僕が死んだので
あなたは僕に怒る
「あんたはそれで幸福かもしれないけどわたしは不幸だよ」
そうだよね
億万財産をあなたに譲渡できて
僕は幸福だけれども
あなたは不幸なんだろうね

今僕は
あなたに待っててくれとすら云えない僕は
三回目の春をどうにか順調にこなしています
そして同じ場所でもう一度
何かをつくろうとしている
今、その不安な蓋然性がすべてを支えている
僕の本は世界地図を支えている象(亀だったかな)
僕は世界地図の端の滝から
海が流れ落ちないように
必死でダムを造り続けている作業員(の下っぱ)
そしてやっぱりサメに襲われていて
食い殺されそうなのを必死にこらえてる
だけどまだ頑張ってる
ある特定の商品として生きていく
その唯一の僕の道を確保すべく
こうなりゃサメの歯を端から一本ずつ引き抜いてやろうと
頑張っています

今あなたは
この春社会人になったあなたは
このあいだ僕と会ったとき
「わたし、強くなったよ」
と言った。
十日前、憂鬱だ憂鬱だひたすら憂鬱だ
と言っていたあなたが
一週間の研修のあと、
わたし、強くなったよ、と言った
僕は嬉しかった
あなたの代わりにサメに食われて死ぬことよりも財産をあなたに譲渡することよりも
何よりも
僕は幸せだったから
ああ僕の理論など
本当に、何でもないことなんだなって思った
感無量です

あなたに負けないように
僕も頑張るから
あなたも頑張ってください
そしてちょくちょく
その続きをまた、聞かせてください

優縁台。




自由詩 優縁台 Copyright チグトセ 2007-04-12 16:31:46
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