愛することの定義
深散

信じることを定義するとしたら
「この人になら裏切られても後悔しない」
と覚悟することだ。

誰かの手を求めるとしたら
「今この瞬間の温もりがあれば、次はなくても生きられる」
と確かめることだ。

それは達観しているわけでもなく
斜に構えているわけでもなく
諦めたり自己憐憫に陶酔しているわけでもない

私には、それが、
「人を受け入れる」ことだと思えるからだ。

私は「関係性」を愛するのではなく
私は「その人」を愛したいと
心から思う。

その人が私のそばにいるという「関係性」ではなく、
私のそばにいようと、私と関係を絶っていようと、
「その人」を愛したい。

その手が私に触れるときの温もりではなく、
その手そのものの温もりを愛したい。

だから、どこに行こうと、追わない。
だから、どこに行こうと、愛していられる。

縛られることは嫌いだ。
それは、「関係性」を愛されたくないからだ。
「関係性」なら、私の代わりがいくらでもいる。
私の代わりはいくらでもきく。

私との関係、ではなく、私、を愛してほしいから、
私は、縛らない。
私は、追わない。

あなたが何処の空にいても、私はあなたを愛している。

それが、私の「信頼」という覚悟だ。


散文(批評随筆小説等) 愛することの定義 Copyright 深散 2007-03-22 07:01:26
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