雨になる前に走り出してしまう
岡部淳太郎

雨の記憶を憶えていない
私が はじめて雨に遭遇した時の 記憶
それはかすれて 雨の日の
窓ガラスの向こう側の風景のように
ぼんやりととおくなってしまっている

だが 思い出せば
いつでも雨だった
脳の中に降る 雨
脳の中の 水たまり
それらの洗い流すことの出来ない 記憶
それらを抱えて
曇る窓ガラスの向こうに
いつも私はいた
いつだって
雨の風景は他人の顔をしていた


          私は傘を持っていない。
          だから私はずぶ濡れ。
          頭から爪先まで、見事
          に濡れている。晴れの
          日もあれば、雨の日も
          ある。それは当たり前
          のことであり、たかが
          雨になったぐらいで自
          転を止める理由にはな
          らないから、雨天決行。
          どんなに空があやしい
          雲行きになったとして
          も、私は傘を持たずに
          外に出る。傘を持たず
          に、あえて濡れに行く。


雨の記憶の降り注ぐ中で
何も待たない
誰も
何も
待たずに
(何も持たずに)
新しい雨を待ち享ける
新しい雨の記憶を
ひたすら待ち享ける

それは 悲しい出来事に なるだろう
それは 惨めな出来事に なるだろう

わかっていて
それでもあえて
不幸を待つのだ
雨になる前にいつも
走り出してしまうから
安全な場所に
逃げこもうとしてしまうから
だからこそあえて
雨を待って
雨に濡れてみるのだ


          私は傘を持っていない。
          そのことをことさら大
          げさに言いつのるわけ
          ではなく、誰かの傘に
          入れてもらいたいわけ
          でもなく、ただ傘がな
          いという事実を、言っ
          てみたいだけであって、
          そうして、傘がないと、
          不幸のふりをしてうた
          いながら、天から降っ
          てくる雨を、ひたすら
          に味わいつくしたい、
          それだけのことなのだ。


これから降るであろう 雨を
新たに記憶に加えることにして
はじめての雨の記憶が欠落していることの
代償としたいのだ
それもやがてかすれて
ぼんやりととおくなってしまうかもしれないが
それでもあえて
この心臓の中に雨を降らせて
血管の中に
雨を流通させたいのだ

これまでの
憶えている限りすべての
雨の記憶をたぐりよせて
――ざあざあ ざあざあ と
多量の雨をこの生の中に降りそそがせる
いつも脅えて
雨になる前に
走り出してしまうから

記憶しなければならない
(傘を持たないこともふくめて)


          私は傘を持っていない。
          それでも雨は降って、
          それでも雨に濡れて、
          ざあざあ、ざあざあ、
          と、降っている雨を眼
          にやきつけて、肌にし
          みこませて、私は雨の
          冷たさを憶える。いつ
          でもそれを、思い出せ
          るように。きっと私の
          はじめての雨の記憶は、
          そうとおくないところ
          に、あの空のような、
          手のとどきそうなとこ
          ろに、あるのだろう。
          ――――――――――
          ――――――――――
          雨になる前に、走り出
          してしまう。そのここ
          ろを、しずめて。濡れ
          ながら、傘を捨てる。



(二〇〇七年二月)


自由詩 雨になる前に走り出してしまう Copyright 岡部淳太郎 2007-02-14 22:32:01
notebook Home 戻る  過去 未来