その年、
帳面の人数が合わなかった。

一人、多いようでもあり、
一人、少ないようでもあった。

誰も慌てなかった。

数え直せば、“誰の名”を
呼ばなければならないか
分かってし ....
いつからか、川には
「河童がいる」と言われるようになった。

言葉は、地面から滲み出たように広がった。

見た者はいない。

けれど
夜の川が、笑っているように
聞こえる日があった。 ....
村のはずれに、川があった。

山から下り、すすき野原を横切り、
村の前で肘を折るように曲がる川だ。

川は澄んではいたが、やさしくはなかった。

洗えるものは、すべてここで洗った。
泥 ....
村が「清潔な沈黙」に包まれてから、長い年月が流れました。

かつて野原で叫んでいた少女も、
冷酷な釘を打った大工も、
皆この世を去りました。

残されたのは、すすきに埋もれ、
誰からも忘 ....
村長と長老たちは、神社の拝殿に集まり、脂ぎった顔を突き合わせていた。
彼らにとって、すすき野原の「影」は、もはや恐怖ですらなかった。
それは彼らが築き上げてきた「村の秩序」を脅かす、目障りな不純物 ....
子供の笑顔 弾む声
あの日 突然砕かれた
恐れ凍えて 逃げまどい
震えた 瓦礫の街
赤く燃える空 黒く昇る煙
赤く燃える空 黒く昇る煙

生きて必ず 帰るよと
内緒で伝えた ....
与一が神社の周りを耕し始めてから、
すすき野原の様子が少しずつ変わり始めていました。

それまでは、ただの「空き地」だった場所が、
何やら得体の知れない「熱」を持ち始めたのです。
風が吹けば ....
秋の陽光が、すすき野原を白銀の海へと変えていた。

その海を割るうよにして、
一台の荷車がゆっくりと村の坂を登ってくる。
車輪が砂利を噛む「ぎい、ぎい」という乾いた音が、
静まり返った村に不 ....
その年、川は何事もなかったかのように、穏やかでございました。

氾濫もしない。渇きもしない。
人の都合に、ちょうどよい顔をして流れていたのです。

村人たちは、胸をなで下ろしました。

 ....
三郎沼が干上がってから、村は何も変わらぬふりを続けておりました。

水の無い沼は、ただの窪地となり、子どもらは近づくなと強く言いつけられた。大人たちは、あの夜の話を口にせず、まるで最初から沼など無 ....
それが“誰だったのか”を、村が知るまで、そう長くはかかりませんでした。

川辺に残った、三郎のものではない足跡。

それは日ごとに増え、やがて消え、また別の場所に現れました。形は人に近く、けれ ....
三郎の名が、村の口から消えはじめたのは、そう年月の経たぬ頃でございました。

神として呼べば重すぎる。妖怪として呼べば怖すぎる。

結局、人々は名を避けました。

「……あの水のこと。」
 ....
三郎が消えてから、村は確かに救われました。

ぬらくら川は牙を収め、堤は崩れず、田は実り、子どもらは裸足で川を渡るようになった。人々は言いました。

「河童三郎は、神さまになった。」

そ ....
むかし、むかし……と語るには、あまりに生々しい頃の話でございます。

山あいの村に、ぬらくら川という名の川が流れておりました。春になれば雪代が荒れ、夏には深みが増し、秋には底知れぬ色を帯び、冬には ....
子どもの笑顔 弾む声
あの日 突然砕かれた
恐れ凍えて 逃げまどい
震えた瓦礫の街
赤く燃える空 黒く昇る煙
赤く燃える空 黒く昇る煙


生きて必ず帰るよと
内緒で伝え ....
寂れた駅のホームで僕は 
見送りないまま ひとり
次の汽車で遠く離れて 
知らない町へ行くよ

窓の外を流れる景色 
列車に揺られて ひとり
冷たい線路 続く果てまで 
もう戻れない  ....
玄関の鍵が、ゆっくりと回る音がした。夫の帰宅だ。
時計の針は八時半を指している。
いつもなら「寒かった」と呟き、靴を脱ぎながらコートを椅子に放り投げる乾いた音が続くはずだった。
だが、今夜は、家 ....
ふたりで暮らすはずだった部屋は、
 最初から何かを待っているように静かだった。

 地下鉄の線路が近く、
 夜になると鉄の響きは、くぐもって届いた。

 その音が窓を震わせるたびに、
  ....
夕陽は、すっかり沈んでしまっていました。
野原の色は、夜の灰色にゆっくりと溶けていきます。
男は徳利を傾け、ふらふらと細い道を歩いていました。
酒に酔い、肴を楽しむつもりも忘れ、ただ夜の草の匂い ....
山あいの小さな村に、おばあさんが静かに暮らしていました。

かつてはおじいさんと二人、ささやかに日々を分かち合っていましたが、
おじいさんは数年前に旅立ち、それ以来、おばあさんは一人、
窓辺に ....
Ⅰ. 春の街道と、凍った泉

夜明け前の海へつづく街道は、ひんやりと澄み、
物音ひとつなく深い眠りの中にありました。
雪解け水が細く道を濡らし、歩くたび、
ぽとり、と小さな音が響きます。
 ....
第一章:苺を求めて
春の終わり、与一は「せせらぎの峰」を目指して旅立った。足元の土は湿り、谷を覆う霧が視界を遮る。冷たい風に打たれながらも、彼の胸には、季節を問わぬ白い苺という“祝福”があった。
 ....
第一章:芽の成長と村の冷笑の悲哀
春先、ジャガタラの畑に小さな緑の芽が力強く伸び始めた。

与一は毎朝、指先に土の冷たさを感じながら、芽を揃え、水を注ぐ。汚れた手は土と一体化し、そっと声をかける ....
序章:帰郷
山の奥深く、すすき野原に囲まれた小さな村へ、一人の男が戻ってきた。名は与一。

日の照る一本道を、荷車を押しながら、ゆっくりと坂を登る。荷台には埃をかぶった古道具や、異国の飾りのよう ....
箪笥の上に置き去りにされた道化人形は、誰にも気づかれぬまま、長い時をひとりで過ごしていました。

笑ったままの顔は色あせ、細いひびが頬を走り、衣装の金の刺繍は煤けています。
かつてこの笑みを愛し ....
ぐるうりと、ぐるり山に囲まれた、この谷間の村だで。
寒い季節になると、ほれ、屏風山から山おろしの風が、
「ごうごうっ、ごうごうっ。」って
まんず烈しく唸るんじゃ。
その、ずっと向こう、白むくの ....
ビルの立ち並ぶ、鉛色の大きな町の、底冷えする裏通り。
そこに、子どもたちが大好きで、彼らの前では、銀河の彼方のほんとうの幸せを、細い目をして語るおじいさんが住んでいました。おじいさんは町に一軒の時計 ....
紫陽花は、雨の季節に、静かに生まれました。

ひと粒ひと粒、雨のしずくを、その葉と花びらに受けるたびに、紫陽花は、まるで涙でできた水のお城のように、透きとおって光りました。

ある、ひっそりと ....
むかし、北の山あいに、たったひとりだけ色のちがう鬼がいました。赤鬼でも青鬼でもありません。その鬼の肌は、冬の曇り空のような――淡く沈んだ灰色でした。

仲間の鬼はみな、虎の褌を締め、強さのしるしの ....
朝顔が知らないうちに、ひそやかに蔓をのばしていたので、
庭の人は一本の竹をそっと添え木にたててやりました。

その晩のことです。

夜は早くからしんとして、星はどれも遠くで息をひそめ、
虫 ....
板谷みきょう(435)
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