サイト内の作品やひとことダイヤリーで詩とは何か感じたこと[219]
2024 09/29 23:36
朧月夜

足立氏こんばんは。コメントありがとうございます。

発達心理学ですか……わたしも心理学について勉強したことがないわけではないですけれど、心理学というのがどれだけ正確なものか、ということについてはすこし考え込んでしまいます。例えば、精神分析を作品に応用した作家としてアナイス・ニンなどもいますけれど、彼女の精神分析はきわめて不正確なものだと、今あらためて考えると思いますし……アナイス・ニンには心理学者としての素質と芸術家の素質、両方があった、というのが正解かななどと思ってしまいます。

発達心理学の例を持ちだしてきたのは、足立氏が「とある人のネット詩歴(ネット連詩→自称詩→辞書詩→AI詩→現在詩)」というタイトルについてあらためて考えてみて、「時系列としての5つでも、同時だという矛盾があるということ」ということを強く感じたから、ということのような気がするのですが、「リカレント教育推進派」とおっしゃっていることを踏まえれば、もともとそういったことを考えていらっしゃったのかな、という。

小林秀雄が「年齢」というエッセイを書いていて、20歳の人間なら20歳の人間が書いたこと、60歳の人間なら60歳の人間が書いたことで、その年齢でしかわからないこと、というのが含まれていて、読む側でもその年齢になってみなければ実感としては分からないものだ、と言っていますね。それと同時に思い出すのが、トーベ・ヤンソンが年上の人形作家と会ったときに、「あなたはまだ若いから」と言われ、その時のヤンソンが70歳くらい、人形作家が90歳くらい、だったと思うのですが……

老いのなかに若さもあるでしょうし、若さのなかに老いもあるでしょうし、小林秀雄の意見は一見暴論なんですけれど、ヤンソンと人形作家との対話の例もあるように、そういうもの(年齢による感性や感覚や理解の違い)というのはあるような気がします。ですから、これも暴論ですけれど、40歳というのはやはり今でも「不惑」ですし、15歳は今でも「志学」なんだろうということは思っていて。それを踏まえたうえでの「学び直し」ということであれば良いと思うのですが……

最近思ったのですが、孔子が15歳で学を志した、というのは、あの時代ではかなり遅いことですよね。なので、孔子の言葉に含まれているのは、自分は平凡な人間に過ぎない、というニュアンスだと感じるのです。年齢ですとか時間ですとか、については、もうすこし違ったアプローチも持っているのですが、なんとなく会話の流れからして、思いつくのはこんなことかなあと。

足立氏はWIN95の時代から、ネット詩壇に参加なさっていたのですね。わたしよりもずいぶん長いです。わたしはせいぜい2000年くらいからですから。わたしが当時のネットのことで思い出すのは「ぞぬ」のことだったりしますが……。でも、あまり懐かしさは感じないかも。そのころ職場で、「俺、1999年に本当に地球が滅亡すると思っていたもん」と言う男子がいたりして、1995年ころから1998年くらいまではそんな空気感の時代だったかな、ということは当時思いましたし、今も思ったりします。わたしにとっては、hideさんの死がいちばんショックでしたが……Zilchの「3・2・1」とか和訳したこともありますが、面白いですよ。

話題が詩からは逸れてしまいましたが、hideさんの「DOUBT」とか聴いたときに、今の時代では詩人というのはミュージシャンにならないといけないのだろうか、ということを思って、一年かそれくらいずっと考えていたりしました。わたしの出した答えは、ミュージシャンは詩人にはなれない、ということで、むしろミュージシャンのほうでは、中島みゆきにしろ、ボブ・ディランにしろ、自分の書くものは歌詞であって文学ではない、とプライドを持って言っていますね……

なんだかとりとめもなく。とりあえず、お手柔らかに。
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