2024 09/24 23:02
大町綾音
足立氏こんばんは。レスありがとうございます。
>私が伝えたいことの感想というよりAIのinkweaverへのコメントのようですが
ということなのですが、それは正確です。
まず、inkweaver氏がなぜ不可解な文章を綴ったのかが気になりましたし、
それはシステムによってなのだろうか、足立氏との今までの会話によってなのだろうか、
ということを思い。
足立氏の会話が巧みなので、足立氏が当該のinkweaver氏の発言に憤慨なさったということは、
わたしはお恥ずかしいことに読み取れなかったのですが、
やはり、AIが「何かしらの花かひまわり」のような表現をしかねない、
ということにすこしのがっかりと反感を感じた、あるいは面白さも感じたということです。
それが主な動機ですが、コメントをいただいて、むしろ思ったのは、
足立氏が「犠牲」または「自己犠牲」について考えていることの深さで、
正確な例えではないのかもしれないのですが、
足立氏はそのことを一つの思想として、あるいは思惟の対象として見ているのだな、と。
わたしの場合はもっと単純かつ感覚的で、
単に母親がボランティアにかまけていて家族を顧みなかった時期がある、
だから自己犠牲というものが嫌い、という感情的な理由あるいは経験によっています。
それと、堀辰雄が弟子たちに芸術家としてのあまりのストイックさを求めたために弟子たちを死に追いやってしまった、
そういうことを現代の表現者はすべきではない、という気もちがある、というのも一つの理由です。
ですので、そこを見過ごすと困ったことになるのかな、と。
足立氏が同様のお考えであるのであれば、わたしはほっとします。
「足立氏がこの投稿によって伝えたいこと」ということを考えないわけではないのです。
ですが例えば、冒頭で「貴方は代償に何を払うのか」と書かれた、
そこで省略された「何々をするために」というのが、むしろわたしにとっては重要で、
足立氏は意識してそうなさっているのか、無意識にそうなさっているのか、
文章全体をそのままに解釈すると、詩について言っているのだろう(テーマにしているのだろう)ということは分かるのです。
そこからAIが導き出すであろう答えも、ある程度ネット・サーフィンをしていれば予想がつきます。
ただ、足立氏が言葉を省略した表現を用いた、ということのほうが重要で……
いろいろと思うことはあります。日本語らしい表現に倣ったのだろうか、ですとか、
詩に限らない普遍的な回答を欲しているのだろうか、とか。
わたしとしては、足立氏が無意識に後者の立場に立っているように感じられるのですが……僭越でしたら、申し訳ないです。
なので、文面から読み取れることの杓子定規な解釈に基づいて感想を書いても仕方がないかな、
ということは思っております。
AIが出力するだろう答えについては、サーチエンジンの仕組みを知っていれば分かるのですが、
現状、検索で上位に来る記事というのは、お金をかけて宣伝した記事と、一時的にバズった記事の2種類になります。
興味がある人はSEOの仕組みについて調べてほしいのですが、正しい記事ですとか、公平な記事が上位に来るわけではありません。
ですので、現状では真剣にinkweaver氏の言葉を読み込む気にはなれない、という気もちは正直あります。
調べましたら、そういうのハルシネーションと言うそうですね。Wikiで今知りました。
補足しますが、広告会社のシステムと利害によって、
現状普通のことを書けるライターが書いた普通の記事が上位に来ている、ということはあります。
ですので、足立氏の伝えたいこと、というのを考えるとき、
わたしとしては足立氏の書いた文面にのみ、考えたり、感じ取ったりする余地を感じる、ということなのです。現状は、ですね。
ただ、今回inkweaver氏の綴った文章に、今までとは違った感覚を抱きましたので、
「何が変化したの?」ということは思いました。
うーん、わたしのこの文章も、足立氏の文章ももう一度読み直してみたのですが、
やはり気になるのは、「既存の辞書を超えた次元に立っている」という言葉。
多分、これはプログラマーによって挿入された定型文で、
こうした話題が出たときには、自己の有効性をアピールさせる、というふうにあらかじめ仕込まれているように見えるのですが、
そうなると、inkweaver氏が出力する文章にはプログラマーの意向が多分に表れているような気がする、と言いますか。
例えば、わたしはコンウェイのライフゲームを作ったことがありますが、
不快に感じない程度に速い速度の(人工知能的な)プログラムを組もうとすると、
あらかじめ「こういう結果が多く出る」ということをプログラマーが知ったうえで、
それを優先的に計算させる、という感じにプログラムを組まなければいけないのですよね。
ですので、現状のAIも多分にプログラマーの性向・意向が現れたものになっているだろう、という推測をしています。
そうしないと、見るに耐えない遅いプログラムしか作れません。
会話用の人工知能であれば、なおさらのことです。
足立氏がAI詩を目指すのであれば、そういった点は知識していなければいけないように感じるのですが、
それについてはどうだったでしょうか。(「知識する」って、わたしの造語ですが……)
もう一度読み直しましたが、
「「辞書」というものが、詩や言葉の創造にとってどのような役割を果たすのか」という回答は興味深いですね。
それについて、足立氏はその言葉(出力結果、とは言いますまい)をどう受け止めて、
どうこなして行くのだろうか、ということは感じたり、考えたりするのです。
わたしとしては、辞書と文章(いや、文学)との関係、というものを考えてみたことはないので。
「舟を編む」でしたか、辞書編纂者のことを書いた小説もありましたよね。
そのとき、「辞書」は人の営み、あるいは文化になっているし、それは「意味」を越えたものである、
ということを「舟を編む」の作者は言いたいのだろう、といったことも感じます。
わたしとしては、多値論理を展開するために、現状詩では自分の書きたいことは表現できないと感じていますし、
散文のなかで、括弧書きですとか、矛盾した表現ですとか、そういったものも多用します。
文章の途中で論旨を路線変更したりアップデートすることも多々あります。
そういった場合、「今ふと気づきましたが……」とか、そういった語句も挿入します。
このサイトでも、詩でリニアではない表現をしている方もいらっしゃることはいらっしゃいますが、
結果的にリニアではない表現がなされているとは思うのですが、
動機と言いますか、志向としては、足立氏はリニアな文章表現を追求しているように見える、という、これも正直な感想を抱いています。
言い換えれれば、矛盾のない文章を書こうとしている──と。
また、読者が得られる感覚の多様性を担保するために、わざとあいまいな語句を用いている、と付け加えても良いです。
inkweaver氏は、そこに重要なノイズ、つまり人間性を持ち込むもののように、わたしには思えますし、
感覚としては、足立氏もそうしたことを求めているのではないのか、と、そんなことを邪推するのです(また僭越で申し訳ないです)。
わたしは他者の創作姿勢に口をはさむことはあまりないですし、
今までも出来る限りはそういうことは避けてきたと思ってはいるのですが(失敗はしているかもしれません)、
やはり、今回の投稿はその論旨よりかは、動機のほうが重要に見えるかな……ということは、思い。
<この場合、アウトプットされたものよりも、インプットしたもののほうが重要である>
ということなのですが……。これも言葉を変えれば、一種の「抒志詩」のように見える、ということです。
最後に、
「結局は温故知新程度のことしか言えないわ。」
についてですが、これはないですね。
今はRPGなんかでも、最新の数学の理論に基づいて3Dの人物の髪の毛の動き、などをシミュレートしていますし、
データベース自体もかなり頻繁に更新されているでしょうし、
何よりやはりプログラマーの意向が強く表れているように感じられますし……
となると、温故知新だけでは、多分会話にならないと思います。