2024 07/26 08:26
朧月夜
まあ、わたしは詩の才能がなく、批評するくらいしか能がないのです。
こしごえ様のひとことダイアリー7月25日。
「基本的には、詩は、アタマで考えるものではないと思うんですよ。 詩とは何かなんてアタマで考えている限り分からないと思います。 分かるというよりかは詩は感じるものでしょ。ちがいますか?私は無知ですけどね」
こしごえ様にしては珍しく強い言葉で、もちろん、そうだよなあと思うのです。
ただ、これを受け入れてしまうと、ヴァレリーなどはどう? ということも思ってしまうのです。
(小説家の)堀辰雄は「詩人も計算する」という短文を書いていましたが……。
詩という一つの事件において、「詩の書き手」と「詩の読み手」というものが当然あり、
例えば、現代においては相田みつをのような詩人も存在し、高く評価されている。
相田みつを氏は、こちらの詩人の方々がどう考えるかは分からないのですが、
わたしの解釈としては、「考える詩」を書いている詩人であり、読者もそこに共感しているように思えます。
それは、現代において(「考えるよりも感じろ」とよく言われますね……)不思議な出来事ではないでしょうか。
「そうじゃない、相田みつをは感性を表現しているんだ」というご意見があれば、わたしは口をつぐみます。
わたしは、こしごえ氏の言葉は、最近になって意匠の表現が増えてきている、
氏自身の創作姿勢についての、氏自身の戒めではないかと感じるのです。
魂と理性の相克がそこにあることを、深く感じます。
ですから、この言葉において「感性至上主義」を氏は言っているのではないこと、
注目すべきだと、わたしは感じるものです。
もちろん、理性が勝つか、感性が勝つか、それはその人の生まれついての資質にもよるものでしょうが……
この「叫び」は、軽々にとらえてはならないように感じます。
無断転載で、ごめんなさいね。>こしごえ様