サイト内の作品やひとことダイヤリーで詩とは何か感じたこと[133]
2024 04/07 01:07
おぼろん

ひだかたけしさん。

>要は融合、
>批判差別優劣化の理性ロゴス論理

まず、上記の件について、わたしとひだかさんとのメールのやり取りにおいて取り交わした言葉でもある「融合」ということについて、この掲示板(会議室)を目にした人にとっては、馴染みのない、唐突な言葉に感じられるだろうと思うのです(メールでも数度、意見を交わしましたね)。
ひだかさんの人としてのあり様をわたしなりに目にし、追究して、わたしなりの、ひだかさんにおける「融合」という表現にたいする理解や意見もないことはないです。ですが、この現代詩フォーラムの「会議室」という場の性質上、もう少し詳しく「融合」という言葉について述べていただけるよう、お願いするものです(「詩」的な思考・印象にそった言葉でも構いません)。
もっとも、この場が独り言やアフォリズムを呟く場であると考えられているのであれば、上記のこと、また下記のことはスルーしていただいてもかまいません。
上に書いたことを踏まえて……、ひだかさんがわたしの発言のどの部分をもって、「融合」という言葉を感じ取ったのか、わたし自身でも少しく把握するものではあります。例えば、「『対立』というものは『対話』によって解消され得る」という部分もそれでしょうか。
ですが、今のわたしは「言語」というものを「口頭での会話/コミュニケーション」に限られるものとは捉えておらず(厳密には、「口頭での会話」というのがはたして意味を指示し得るのか、ということにも疑問を持っています)、認知言語学の考え方に添った「言葉(あるいはコミュニケーション)」の理解というものをもって、コメントなどを書かせていただいています。──ここでは、エクリチュール、すなわち「書き言葉」については取り上げません。
ひだかさんの認識は深い、深いと感じます。ですので、お時間があれば、また体調が許す限りにおいて、「融合」という考え方/感じ方について、もう少し詳細に述べてはいけませんでしょうか。でないと、この「対話」を目にした方たちは、「ああ、あれはあいつらの馴れ合いだね」という感想を持ってしまうのでは? と思うものなのです。
詩的言語による表現、批評的言語による表現、それは異なってしかるべきものだと思っています。であれば、着地点はどこにあるべきか? それは、「馬鹿でも分かる表現」「猿でも分かる表現」だと、わたしは思っています。わたし自身が「馬鹿」であり「猿」なのです。ですが、そうしたスタンスは、今現在の現代詩フォーラムにおいては、「なくてはならないスタンス」だと思っています。
「認知言語学」は「生成文法」という考え方に続いて現れた考え方で、簡単に言えば脳機能にもとづいて「言語」の使用ややり取りなどを物理的な視点、あるいは脳科学的・生物学的な視点にたって解釈する、という言語学の手法になります。
わたしがとくに注目するのは、Wikipediaにも記載されている「意味は静的なものではなく事態把握・語用論的面を含めたダイナミックな『概念化』として記述する」という点でしょうか。要するに、「言葉」は「物理」である、という考え方です。……もう少し踏み込んで、わたし独自の解釈を加えるなら、「言葉」とは「習慣」であり「歴史」である、といった考え方になります(文学慣れしてしまっていて、このような書き方は実は正確性には欠けるのですが)。
こうした考え方が、ひだかさんの急な課題として認識されないようであれば、どうぞスルーなさってください。なお、取り交わしたメールの内容などについて、具体的に言及することは今後ともありません。何卒、この「現代詩フォーラム」という公共の場において、「読み手の理解を深める」という考えにいたったときにのみ(あくまでも善意のみに基づいて)、レスをいただければと思うものです。

ハァモニィベルさん。

>人類史上、特に高いモラルを権力に要求したのは、孔子でしょう

深く、また同意する言葉です。

※眠れず、編集しました。
スレッドへ