2024 04/01 17:57
朧月夜
昔考えたことで、こういうことがあるのですが、「人間はむしろ互いに似すぎているので、誰かを自分より高く見たり、低く見たりするのではないか?」と。そのほうが容易なのではないか、と。──ちょっと見突飛な意見だと、わたしも思いますし、強く推すものではないのですが、「対等に接するのは難しい」と、最近このサイトの意見でも目にしたように記憶しています。
わたしがそう考えたことは、実は日本的な文化なのかもしれず、高校生だったときの古典の先生は、「日本語には主語がない。『敬語』という文法によって、主格の表現をしている」と言うのを聞いて、はっとしました。そのことでわたしは言葉の奥深さに刺激され、理系から文系に転換することにもなったのですが……。
「日本語にはもともと主語がない」という意見は定説ではなく、最近そのことを主張する言語学者の方たちもちらほら現れているようなのですが(文献を提示できず、申し訳ないです。機会があれば再度調べてみます)、欧米の言語(インド・ヨーロッパ語族)では、明確に主語の表現がありますよね。……アフリカやラテン・アメリカだと、どうなんだろう?
アジア人と欧米人の気質の違い(極論すれば、農耕文化と狩猟文化の違い)というのも、文化、そこから遡って言語の違いにも影響しているのでしょうけれど、昨今、とくにアメリカの文化などは、日本の文化を色濃く受け継いでいますね。……「日本マンセー」をしているのではありませんが、4chanや8chanなどは、日本のネット・カルチャーの影響を受けて誕生したものですし……。
わたしがとくに思うのは、現代のスラングとして、「I guess」という言葉が欧米の文化圏で多用されていることです。これは、直訳すれば「私が解答しますが……」という意味であり、日本語のニュアンスとしては、「~だぜ」「~だよな」というニュアンスに近いと思うのです。口語表現において、「断定」が標準的に取り扱われている。これは、2ちゃん語などの影響を強く受け継いでいるのではないかと感じます。いや……これは言い過ぎかな。もっと調べてみなくてはいけません。
ハァモニィベルさんの認識は適確だと思います。ただ、詩人についての認識はわたしとは異なります。このごろ思うのは、共感よりも対立というのはむしろ大事なのではないのか? ということで。足立さんやハァモニィベルさんがディベートを重視すること、わたし自身はあまり納得していないのですが、社会人としての作法を洗練させるために、それは必要なのでしょう。ブラック労働を課されても反論せず隷属してしまう、という社会は長続きはしない、あるいはしても衰退してしまう。
西村博之氏のように、理論やデータだけで会話すること、「それはあなたの感想ですよね」で済ませてしまうこと、それはそれで社会やコミュニケーションの衰退だと思います。最近は「論破王キラー」などという存在も現れてきたようですが。「詩」という日常言語からは離れている、あるいは離れているべき、あるいは必然的に離れてしまう言語表現が、このような(「現代詩フォーラム」)サイトで、細々と続けられていることは、実はとても貴重なことなのではないかな、と思っています。