2024 03/28 02:30
朧月夜
たまたまこちらにアクセスしていたので。
>アラガイさん。
詩論を語ることの愚をわたしも承知しています。
ですが、そこへたどり着くことの過程は重要なのです。百人いれば百人の詩論があるでしょうし、なくてはならないものです。アラガイさんに、詩論は難しいと書いたことにご不快な思いをなさったのでしょうか。(それを書いた際)わたしも迷いましたが、それは「お前って詩論も書けない馬鹿だね」と言っているのではなくて、詩論という理性よりの供述書のような物を書くことと、詩という感性や感受性の表現を書くこととを見比べた場合、当然のようにそこに優位はない、ただし烈々な違いがそこにはある、ということを思ってなのです。
ただ単に「時間的に難しい」「(主に文体の)ポリシーを変えることは難しい」と思ってのことです。率直なことを言うと、わたしは理性よりも感性のほうが上位にあると思っています。
詩人は実は詩を語るべきではないのです。詩人が詩論に注力するよりは、やはり詩を書いたほうが良いと思っています。それは、「詩とは何かということ」を見つける過程に、詩人の喜びが凝縮されているからなのです(そしてまた、その過程ではいわゆる作家の「闇落ち」も招きかねないためです)。足立さんに「なぜ詩を書かないのですか?」と質問したのもそれゆえです。
わたしがアラガイさんに求めているのは、実は真の批評家になれ、ということです。アラガイさん自身が詩を好きと言い、そこに投身しているのであれば、このような発言は単なる駄弁にすぎません。聞き流してください。
「自分を大きく賢くみせるための手引き書だった」──よく分かります。理論書が役に立つのはせいぜい三十代まででしょう。ですが、その地道な過程に実は答えが隠れているのではないでしょうか? ここで「詩論について読者がうんざりするほど語ってほしい」と書いたのは、そこにアラガイさんの生きて来た生き様が現れるだろうと思ったゆえです。
アラガイさんが詩論を放棄するのは、単純に、評論よりも詩を選択したからなのでしょう。であれば、このスレッドであれ、このサイトであれ、どこであれ、そのように(詩のように)批評を書くのが最善でしょう。スレッドへの発言も詩になる、コメントも詩になる、と。
詩人には詩人特有の言語があり、そうした訛りによって詩について語っていくことも良いのではないか、とも思っています……。ただ、それは少し残念でもあります。……これ以上書くと大げさになりますから、今は控えます。
わたしは、「詩(芸術)」は時代の写し絵であれば良い、と思っております。それが、すべての芸術論を捨て去ってたどり着く答えなのではないでしょうか? もし、失笑ものでしたら、レスポンスをいただけたらと思います。
※敬語が間違っていたので修正しました。すみません。