【petit企画の館】/蝶としゃぼん玉[753]
2019 06/08 12:06
たこすけ

そうだ。仙人。週末デートみたいなもんだぞ。
平日中にやるのは仕事とさじごとだけでいい。
まぁ、わかってくれたならサンキュー。
わからない奴だったら、あの仙人は多分釣りが下手くそだ。
待つことが苦手な仙人なんてみたことねぇぞ❗️って思ったろうな。
まぁ、仙人なんてみたこともないけどね
あっはっは‼️


まぁ、なんかわかったようなわかんないようなまま進めるよ
善と悪についてのだいたいの理解はある。
車で俺はお巡りを見ると、敵だ。警戒しろと家族に注意を促してシートベルトの確認をするからね。


あんまり話すとこんがらがってくるから
いっこだけね。

性善説の先に中道だとか、中庸があって
狙い定めて、現実的な最適で最良な選択をおこなう
ベルたんはそんな行動にしようと努力しているって感じだろ
そんな風になれたらいいなと酔っぱらってなきゃいつも思うけど。(アルコールより憎しみ、怒り、嫉妬のほうが血中に溶けやすい)
なかなかにそんな風な対応でいきていくってのはねぇ
仙人をみりゃわかるぜ。あっはっは‼️じょーだんだ

孔子の意思をついだ孟子は性善説を展開してったわけだけど

孔子は中庸に徹するというのは、自分の激しい性格への戒めともとらえられる。きっと弟子の顔回を孔子が愛したのは
何事にも穏やかでいられる顔回がうらやましかったんだとおもうなぁ。

でさー、孔子は中庸に徹する人間だけがいいとなんていってないわけ。次善として、狂者(ベンチャー精神溢れる人)と狷者(一刻者、頑固者)に選択の候補をみたわけだ。
友達にするなら、徳のきょうげん(文句だけは言う連中)たちよりそいつらのほうがまだいいとね。
でも、中庸の精神がいないよのなかだけど狂者と狷者だけを友達にするなんて、なんて視野の狭まる生き方だろうと思うけどね。その連中はだいたいとんでもねー連中じゃないか。

だから時にきょうげんになりさがり、徳を下げることもあるだろう。同時にそのひとが時に、痩せ我慢のすえに中庸に手をとどかせようとしている人間なんてたくさんいるじゃないか。
もっとそういう人間を味わっていこうぜってだけさ。
俺にとってはね。


ま、あくまでも「教え」だから、俺の考え方を含めての、
苦しいけれど、次善にそんなひとと交流しなさいよってのが孔子の現実的決断だとおもうけどね。

で、なんのはなしだっけ?
ベルたんのはなしはなんだか難しくて
最初に何をいえばいいのかわかんなくなるな。あっはっは‼️

一流の味(中庸)なんてものを、人には求めないよ。
どうやってその味をだせばいいのかもしらないし
二流の味はそれはそれでいいさ。うん、楽しかったと笑う。
三流の味のなかに、何かいい点を見つけたりして話し合う。
よぉ、俺もだいたいおんなじ味なんだけどさーって感じで

そこで、心を開いてくれたなら
二流の味のために、公式めいた答えでなく、
その人にあった答えを一緒にさがせれたらと願うね。

それが、「撰」へのとおいとーおい道だと思ってる。
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