2017 08/20 22:56
ハァモニィベル
*
「原作」について一言
ハァモニィベルが、なんでも、無暗に原作にしてしまうようで、
この形式(
>>514)にどこか暴力的な印象を持たれるタイプの方もいるかも知れません。
しかし、《なんでも、無暗に>>やっているわけでもなく、
(後述するように)できるわけでもありません。
ひとつには、原作者の同意にいちばん配慮しています。
原典を書かれた方が、原作者となってもいい、という
そもそも原作者になることへの同意・賛同を第一に大切にします。
そして、
もうひとつは、(これも非常に大事なことなのですが)
どんな作品でも原作にできるわけではない、
ということです。
*
実質的に無内容に近いような言説は、原作にできません。
123456・・・とただ並んでいるようなもので、
これは、ハァモニィベル語に訳すべき対象・意味が、ないからです。
なので、何か、書き手のマインドが込められていないと、
原作には、(できない)し、原作者に(なりたくてもなれない)
と考えてください。
なので、言いたい事のマインドが濃くて強い人ほど
原作者としてすぐれている、と言えるでしょう。
じつは、原作には、そういう大切な要件があるのです。
読者が読んで苦痛でない言説で書かれていれば、それはそのまま作品
ですから、翻訳する必要はないし、すべきでありません。(読めるものを
訳す必要はないからです)
変なものを読者に読ませるという暴力的な印象の行為を
ハァモニィベルの翻訳によって、僅かでも(まともな読者の)
心のやすらぎや知的愉しみに変えられれば、というのが理想です。
(私の方が原典に暴力をふるっているように思われる方は、
ここで気付いてほしいのですが、私は原典のふるっている読者へ
の暴力をただ合気道で投げとばしてみただけです)
(普段は、あまり投げ飛ばしたくはないので、他人の作品を読みに行かない
癖がついてしまっているわけですが・・・)
ただ、形式的・表現的に「変」なだけで、
マインド(ポエジー)は、文章が器用な人よりもマシもしくは上
であるようなものならば、原作になる資格・可能性は充分にある
わけです。
どの程度のポエジーが原典にあったかは、著作権料の%の数字で
(わたしから)評価されているのにお気づきだったでしょうか。
以上です