2017 01/09 05:04
ハァモニィベル
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【エッフェル塔】について
橋梁設計技師であったギュスターヴ・エッフェルという人は、
産業皇帝ナポレオン三世治下の「技師の時代」に出逢えた幸運児でした。
1889年に開催される第四回パリ万博に向けたコンペでも、
当時の首相と組んで半ば予定されていたブールデの「太陽の塔」を降して、
彼の「三百メートルの塔」はみごとに選ばれます。
大量の大理石と照明を使い工期のかかる「太陽の塔」より、鉄骨オンリーの
エッフェル塔のが、費用においても時間においてもコスパに優れていたから、
と言うことでした。
さて、この鉄骨のカタマリが、
じつは、
当時の「美」の感覚からみたら、異物も異物、
そーとーズレたシロモノであったから、大事件でした。
パリにそぐわない、と、モーパッサンはじめ300人もの文化人がこのと反対署名を行います。
世紀末(19世紀の末)に入った頃のお話です。
対してエッフェルは、「機能美」ということを主張・反論しましたが、言わば、それこそ、
まさに20世紀的な感覚ということになる(なっていく)ものでしょう。
しかし、面白いことに、後日、サンドラールなどの若い詩人たちが、老境に達したエッフェル
のもとを訪ねるのですが、〈エッフェル塔〉の美しさを皆に讃えられると、何を冗談言ってる
んだと、最後まで本人が、全く本気にしなかったという逸話が残っていて、
エッフェル自身が、〈エッフェル塔〉のことを、(新世代の若者達が「美しい」と言うようには)
美しいとは思えなかったということです。(作者自身もまた旧時代に属していたようです)
パリの名物は、かつての迷物。それは、今見れば、
時代変化の象徴として〈歴史〉の中にも立っています。
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〈エッフェル塔〉を美しいと感じる新たな感性とともに、20世紀は始まったというわけです。
19世紀までは、
「年年歳歳 花相似たり、歳歳年年 人同じからず」 という感覚そのままに、
自然は永劫回帰で、歴史は進歩してゆく、と思われていたようです
が、
そうした19世紀の夢が、悪夢となって返ってきたのが20世紀でした。
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20世紀の前半は戦争の時代であり、その後半は、科学技術全盛の(便利なのに幸せでない)時代。
それにつづく現代、
追い詰められた精神は宗教の過激化となって噴出し、大自然もまた悲鳴を上げている。
「自由」は、人間にとって最重要な価値である筈ですが、それも大衆化社会においては、自由になるほど
低俗化の度が増していくことは、オルデガの言うとおりの観もある。
良くも悪くも時代は流れ、広がっていく・・・
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〈エッフェル塔〉を観ながら、そんな事をあれこれと
考えてみるのも、また愉しからずや。
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