2016 10/07 11:43
ハァモニィベル
>>208 >>209
(リメイクについて)
蛾兆さん
>原作を改変した作品
>方向性としては、原作にとって代わって流通させようとするような指向性をもつ作品
>もしオリジナルだと潜称したら、盗作になるような作品
>例として「ゴジラ」、「ザ・フライ」(蠅男の恐怖) など。
以上の感覚は、私もほぼ同様に持っています。
そうすると、ちょっと抵抗感も混じってくる。
石村さん
>「オリジナル作品を日本語の現代詩に新たにかき直す」
>という概念で、いまのところ私は意図しています。
これは、「現代詩」と、「オリジナル作品」と、「かき直す」について摺合せ論議したいわけですが、
「かき直す」の感覚についてはわかりました。
石村さんが挙げられた
☆ チャールズ・ラムの「シェークスピア物語」
これはわかりやすいですね。石村さんの意図する感覚が伝わりました。
この方向だと、
☆ 近藤ようこ 『小栗判官』
なんかが好例ですね。
「リライト」という感じ。(我々は映像系じゃないので)
たとえば、 ペンギンやオックスフォード、の
グレイデッド・リーダーズなんかも当てはまるでしょう。
たんに簡易化してるだけでなく、文学的な芳香はちゃんと保持しているので。
ただし、「超訳」的で可、原作忠実主義でなくてもよく、そこに足をとられなくてもいい、と。
※
「リメイク」というと、私に浮かぶのは、
まず、ドラマや映画の、かつての名作を、駄作化して作り直してるイメージ。
リメイクした作品が、完成度が高いほど、リメイク感は薄れていくものです。
二世タレントと同じで、本人がタレントとして魅力的なら、二世感は薄れ、本人が平凡なほど
二世感が強く鼻につく、というのに似ていますね。
なので、「リメイク」という言葉を積極的に掲げにくい所が「リメイク」という語にはあります。
リフォームとでも呼ぶべきものを最近、二本、メビウスの「書換リレー」で書いたのですが、
あの企画設定は、物凄く残虐なスレなんだけどなあ、と感じます。
私の、〈自分の詩に翻訳〉スレの場合(こちらもメビウス)は、
リメイクやリフォームというよりは、言ってみれば、
「カニバル」
つまり、咀嚼して、消化してしまい、自分の表現にして排出する
という(じつに高度な)ゲーム設定ですがー笑ー。
今回の石村さんの意図の面白さについては、
わたしは、次のようにイメージしています。
例えば、川端康成『伊豆の踊子』を、大藪春彦がその文体とテイストで「かき直したら」
面白いだろーな。
そこで、今回の企画について、考えてみた結果、「リライト」とすると、
参加者が取り組むのに、もうひとつ方向性が足りない感じがするのと、
安易なものを書くおそれがあります。
よって、
そのプロディース感覚を活かすような、企画として、今回、
** マリアージュ **
という設定にしてみたらどうでしょう。(オースティンも出たので)
ある書き手(参加者)と―→ある作品との 、マリアージュ
それが産みだす作品を、まさに生み出してみよう。
という感じ。
わたしからは、そんな感じで、対象作品をどう決めるのか問題をつぎに話し合いたいと思いますが。
へたすると、作品を探して来年になってしまう恐れもあるので、うまく絞りをいれたいです。
(蛾兆さんの、ジャズの名曲に歌詞をつけるという企画がありましたが、あれはジャズ縛りのおかげ
で選び出しやすい利点がありました。)
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