2016 09/28 01:59
ハァモニィベル
>>189
Syuuko Tanakaさん ご寄贈感謝します。
オカルトがただのオカルトにしか見えないヒトは、
イエスもブッダもただの奇人にしか見えないでしょう。
聞こえない音を聴きわける者は、
オカルトの中にも真理を学び取り、一方で、教科書や聖典の中の虚偽は見抜くでしょう。
食欲の秋は読書の秋
《音のテイスティング>>のできる方は、ぜひ
【詩人の本棚】にご寄贈ください。
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【詩人の本棚】に、
関連図書を追加寄贈します。
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◇ 『禅とオートバイ修理技術』 ロバート・パーシグ/五十嵐美克訳(早川文庫)
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人間には、記憶喪失によってはじめて思い出せるものがある。
◇ 『『かみそりの刃』 S・モーム/中野好夫訳 (ちくま文庫)
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>剃刀の刃の上を渡るのは至難なり、求道もまたかくの如し(カタ=ウパニシャッド)
サンスクリットで書かれた〈ウパニシャッド〉は、一般に「奥義書」と訳されるが、紀元前800~前200以降にわたる二百冊以上の書物の総称である。
その初期のものによれば、
「我」(アートマン)とは、
見えない視覚の主体、聴こえない聴覚の主体、思考されない思考の主体、認識されない認識の主体
である。
アートマンは、「―非ず、―非ず、」としか表現できないものだ、という。
音読に棒読みがあるように、黙読にも棒読みがある。
棒読みする者は、交通の取締まりに向いているかも知れないが、
詩の心を汲むことはできるであろうか。
「―さに非ず、―さに非ず、・・・」でも、〈さにも非ず〉 ・・・〈なのである〉。
これは、肯定でも否定でもない。と、同時に、その両方なのである。
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