2016 08/26 21:24
ハァモニィベル
【詩人の本棚へ寄贈します】
# 渚鳥さんの寄贈を受けて
◇ F・サガン 『悲しみよこんにちは』
----------------------------
これは、作者の感性に惹かれる、私の好きな小説の一つ。
サガンという名前が折角でてきたので、これもぜひ本棚に加えましょう。
渚鳥さん サガンに関する本の寄贈ありがとうございました。
*
F・サガンが、フランスの文壇に登場したのは1954年、処女作 『悲しみよこんにちは』が、世界20カ国で翻訳され500万部を超す大ベストセラーになり、18歳の少女は一挙に億万長者になった。(邦訳は翌、昭和30年。/米映画化され、日本で公開後、ヒロインの髪型である「セシル・カット」が流行したのは5年後の1960年頃の話だそう)
1964年に芥川賞を受賞した田辺聖子は、
戦後に流行った堅苦しい小説でなく、こんな風にすとんと女の子の気持ちを書けばいいのかと、新しいドアを開けてくれたのがサガンでした。
と、2004年に新聞の追悼エッセイでその小さくはない影響の一端を語った。
*
ソルボンヌの試験に落ちた18才の夏、家族を残して一人パリにもどると、追試験の準備をするかわりに、一気に書き上げた作品を、ふたつの出版社に持ち込む。そして、
編集者→社長→最も厳密な読手へと、「新しい才能の発見」が伝えられ確認された。
ライバル社も同じ原稿を読んでいる筈と、社長は焦るものの、サガンは睡眠中で連絡がとれず・・・。
300m先にあるライバル社でも事態は同様であったそうだ。
『悲しみよこんにちは』はみごと、出版されたその年、「批評家賞」を受賞する。(この賞の第 1回 は、カミュの『ベスト』 )。
富と名声を手に入れた十代の少女の、その後の享楽的で破天荒な伝説のはじまりでもあった。
*
サガンの最後の小説は、Le miroir egare 『失われた鏡』 (1996)。
家賃の安い小さなアパートに越し、骨粗鬆症で外出も出来ないほど、この頃は、借金で経済状態も、クスリのせいで健康状態も、ボロボロで心身ともに苦境にあったらしい。
この、最後になった小説も、原稿を親友に託してしまうほど、もう書けなくなっていた。
そこで、親友の中の一人の小説家が、サガンの文体を真似て書くことを試みる。だが、どうしても出來ない。それまで、サガンをさして評価していなかった彼は、そこではじめて彼女の文体に宿るセンスに気づき畏敬の念を持ったという。(結局、それは彼女自身で仕上げることになった)
誰でもが、喪失感や孤独を軽妙なエレガンスの筆で描けはしないのである。
*